『野原のロマンス』(たけうちりうと著・パレット文庫)

この日記では初のたけうち本。
一言でいうなら、童話「みにくいアヒルの子」のホモ小説バージョンです。

――と書くと、読んだことのある人から「そんなことあるか」とお叱りをうけそうですね。
むろんホモ小説の主人公がみにくいわけもなく、かれは女装すればとびきりの美少女に変身するれっきとした受なのですが、いかんせんかれは自分が受であることを知らなかった。
この本は「こゆるぎ探偵」というシリーズの番外編にあたるのですが、こともあろうに、かれは本編の受に恋心を抱いてしまったのです。

しかし、男同士の恋ならぬ受同士の恋など、自然界の掟ならぬホモ小説界の掟が許すはずありません。
当然のことながら、本編の受には本編の攻がいて、かれに邪魔されたりあるいは目に見えない掟の力によって、主人公(受)は勉学も半ばにして満足な告白すらままならぬまま、旧制中学を後にします。
思うにこれは、受であるにもかかわらず、男ばかりの旧制中学で男もつくらず趣味の勉学に熱中して、汗臭くハンダ塗れになっていた報いでしょう。
やはり己のなんたるかを知らず、受としての本分を全うしないと、ろくなことにはならないのです。
たとえどんなことをするにしても、己を知るのは大切だということですね。
採用面接にしても、自己分析ができていないうちはポンポン落とされるわけです。まあそれ以前の問題で落とされることもあるわけですが。

そんなわけで、実家の旅館へもどった主人公(受)ですが、そこでかれは人生の転機を迎えます。
すなわち攻との出逢いです。かれと一つ屋根の下で暮らすうち、受としての自分に目覚めた主人公(受)。そこから事態はどんどん良いほうへと向かっていきます。
父親の病気も快方へ向かい、借金による旅館の買収も免れ、腕のいい板前である攻の協力で、傾きかけた旅館もなんとか持ち直します。
よくある占いグッズの広告か、進研ゼミの勧誘マンガのようですね。(いまでもあるんでしょうか?)
つまりこの話には「みにくいアヒルの子」同様、自分の本当の姿を知らなければ幸せも歩いてこない、という深ーい教訓が含まれていたのでした。
ためになる話です。

最後に、これを読んで自分の属性(受か攻か)に不安を抱いたひとのために、受度/攻度チェック http://members.at.infoseek.co.jp/koumonn/ko-kura/homo/talks/talk4.html を紹介しておきます。
自分は絶対に攻だ!と思っているひとも、もしかしたら受かもしれない……と思っているひとも、ぜひお試しください。
あなたの人生、これで変わるかもしれませんよ。

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