『僕らがもう大人だとしても』(菅野彰著・キャラ文庫)

ええとこれは「毎日晴天!」というシリーズの7冊目です。もうすでに9巻まで出ているようなのですが、わたしにとってはこれが最新刊。
どんな話かというと、両親をなくしてからなかよく助けあって暮らしていた4兄弟のところへ、ある日とつぜん「姉(失踪中)の結婚相手」と称して長男の昔の同級生にして想い人が連れ子といっしょにやってきて、やむを得ず同居生活をはじめるうちに、1巻では長男(攻)が姉婿(受)とプラトニックホモに、2〜3巻にかけて末っ子(受)が連れ子(攻)とからだごとホモに、5巻で次男(受)が近所の花屋の兄さん(攻)と「朝起きたら裸」ホモにと、ひとつ屋根の下で暮らしはじめた男6人が坂道を転がり落ちるようにホモになってゆく、そういう兄弟連鎖ホモの典型的な症例です。

それで今回は1巻で両想いになって以来、ずっとプラトニックホモを貫いてきた長男(攻)と姉婿(受)がいよいよ一線を越えんとする話です。菅野さんはあんまりエロシーンを克明に描写するひとではないので、そういう意味では(わたしは)べつにプラトニックでも構わなかったはずなのですが、それでもなんとなくめでたいような気持ちになるのはなぜでしょう。それともわたしは心のどこかで期待していたのでしょうか、菅野さんに、エロを!
まあそんなことはどうでもいいのですが、このカップル、「姉婿」というのは結局ガセだったので姉(まだ失踪中)との絡みではなんの問題もないのですが、タイミングを逃して2年もプラトニックをしてきてしまうとなかなかことに至るのもむずかしかったようです。この本でも複雑な生い立ちをもった元姉婿(受)が200頁ほどをえんえんと悩んだあげく(いやべつにセックスするかどうかで悩んでいたわけではなく)、結局結論のでないまま最後はなし崩しのようにセックスしていました。
これだけ引っ張っておいてなし崩しですか、という気もしないではないですが、でもまあそういうことなのでしょう。理路整然と理屈をつけてからセックスするほうがおかしい。やはり性交が成功する秘訣はタイミングだったのか。とりあえずやってみれば、なにかが変わったり、あるいはなんにも変わらないということがわかったり、どちらにしてもなんらかの発見があるのかもしれない。
なんとなく身につまされるものがあります。

それはそうと、この男6人のなかでいまもっともわたしが注目しているのは三男です。上の説明を読んですでにお気づきのひともいるかもしれませんが、じつはこのひとつ屋根の下に住む家族6人のうち、かれだけがいまだヘテロ、いまだフリーなのです。
これは由々しき問題です。菅野さんはホモにリアリティを求めるひとたち――すなわち確かな文章力と丁寧な心理描写で、男同士が恋に落ちるという異常事態も比較的ありそうな話に思わせてくれる(でも決してあるわけはない←なぜならそれは「さぶ」になってしまうから)ことを重視するひとたちの期待の星なので、そう軽々しくホモを増殖させるわけにはいかないのかもしれませんが(ヘテロがひとりいるのといないのとではリアリティに大きな違いがあるらしい)、わたしとしてはそこをおしてホモにしてほしいですね。
というかいまさらこの状況でひとりヘテロを貫こうというほうがおかしい。無理があるというものです。特定の彼女もいないようですし、ここはもうホモになるしかないでしょう。
それでわたしはかれのお相手としてはだれがふさわしいかと、まるで見合い話をもってくるおばちゃんのように考えたのですが、とても身近にとてもすばらしい相手がいることに気がつきました。
飼い犬バース(たぶんオス)。
ちょっと老犬であるということを除けばこれ以上にない相手です。
三男×飼い犬。ある日とつぜん三男はじぶんのことをずっと見守ってくれている存在に気づき……もとい、いちゃいちゃする家族を横目にひとり欲求不満の三男は思い余ってある夜……!
ちなみに飼い犬×三男ではありません。その設定も捨てがたくはあるのですが、長男が攻で次男が受、末っ子が受とくれば三男は攻に決まっているのです。

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