「おれのベッド広いんだけど、どう?」
2004年4月20日 読書『氷の魔物の物語 全24巻+外伝』(杉浦志保作・冬水社いち好きコミックス)
おもしろかったです。
これはたしか大学浪人していたころに途中まで揃えていたのですが(なんか最近そういうの多いですね)、先日ようやく完結したらしいという情報を小耳に挟み、あらためて買って読んでみた次第です。
外伝もいれて25巻という長編ですが、あまり長いという感じはしませんでしたね。連載当初からラストまでの流れがおおむね決まっていたというだけあって、中だるみすることなく読み切ることができました。
で、どんな話かというと、いわゆる異文化コミュニケーションホモです。
冷酷で残忍な魔物(でも美形)・ブラッドが天然癒し系美少年・イシュカと出会ったことで、互いをかけがえのない存在と感じるようになる……という、定番中の定番。それまで人間を殺すことに対してなんの疑問も抱かなかったブラッドが、大切な存在(イシュカ)を得たことで少しずつ変わっていく――という展開は、上の説明を読んだだけでも想像に難くないでしょう。
とはいえ、それだけで終わらないのがこのマンガで、序盤はブラッドに対する「お母さん」的な存在だった(男なのに……)イシュカが、中盤から終盤にかけては徐々に弱さや脆さを露呈していったりと、従来のものよりもう一歩突っこんだところまで描かれていて、読みごたえがありました。
――と、ここまでまじめに感想など書いてみたのですが(もちろん今までのも本音ですが)、肛クラ的に言わせてもらうと。
……最後までどうにもならない二人でした。
この二人、出会って間もないころからラブラブで、すでに1巻で「おれの体全部あげる(byイシュカ)」だの「俺はおまえがいればいいんだよ!!(byブラッド)」などという言葉を交わし合い、2巻では告白&人前でチュー、3巻に至っては抱きあって眠る関係になっているのですが、それ以後はなんの進展もありません。
なんにもですよ!?
いや、メンタル的にはさらに結びついていってるのですが、人間メンタル面だけではどうにもならないものがあるというか、わたしとしてはできれば身体も結びついてほしかったというか、いくら200歳↑(魔物だから)とはいえ、好きな相手と毎晩いっしょに寝てなんにもしない攻ってどうよ?というか、せめて手でとか口でとか自分で……(自主規制)
――まあ、いろいろと思うところがあったわけです。
いえ、なにもわたしだって、杉浦さんにぐっちょぐちょの糸引いてるようなエロを期待していたわけではないのです。
人にはそれぞれ、作風とか傾向とか得意不得意というものがあります。汁の飛び散り方やナニの微妙なトーンワーク、イッたときの表情に命を懸ける人もいれば、繊細な台詞まわしや切なげな表情、幾重にも張りめぐらされた伏線なんかに力を入れる人だっているでしょう。
それはそれでいいのです。
いいのですが、最後の最後くらいは「裸で抱きあってチュー→朝ベッドのなかでまったりしている二人」的な絵があってもよかったような……花も嵐も乗り越えて、最後は長年連れ添った夫婦のような様相を呈するに至った二人ですが、実際のところやってるのかやっていないのか気になって仕方がありません。(やってなさそう……)
おもしろかったです。
これはたしか大学浪人していたころに途中まで揃えていたのですが(なんか最近そういうの多いですね)、先日ようやく完結したらしいという情報を小耳に挟み、あらためて買って読んでみた次第です。
外伝もいれて25巻という長編ですが、あまり長いという感じはしませんでしたね。連載当初からラストまでの流れがおおむね決まっていたというだけあって、中だるみすることなく読み切ることができました。
で、どんな話かというと、いわゆる異文化コミュニケーションホモです。
冷酷で残忍な魔物(でも美形)・ブラッドが天然癒し系美少年・イシュカと出会ったことで、互いをかけがえのない存在と感じるようになる……という、定番中の定番。それまで人間を殺すことに対してなんの疑問も抱かなかったブラッドが、大切な存在(イシュカ)を得たことで少しずつ変わっていく――という展開は、上の説明を読んだだけでも想像に難くないでしょう。
とはいえ、それだけで終わらないのがこのマンガで、序盤はブラッドに対する「お母さん」的な存在だった(男なのに……)イシュカが、中盤から終盤にかけては徐々に弱さや脆さを露呈していったりと、従来のものよりもう一歩突っこんだところまで描かれていて、読みごたえがありました。
――と、ここまでまじめに感想など書いてみたのですが(もちろん今までのも本音ですが)、肛クラ的に言わせてもらうと。
……最後までどうにもならない二人でした。
この二人、出会って間もないころからラブラブで、すでに1巻で「おれの体全部あげる(byイシュカ)」だの「俺はおまえがいればいいんだよ!!(byブラッド)」などという言葉を交わし合い、2巻では告白&人前でチュー、3巻に至っては抱きあって眠る関係になっているのですが、それ以後はなんの進展もありません。
なんにもですよ!?
いや、メンタル的にはさらに結びついていってるのですが、人間メンタル面だけではどうにもならないものがあるというか、わたしとしてはできれば身体も結びついてほしかったというか、いくら200歳↑(魔物だから)とはいえ、好きな相手と毎晩いっしょに寝てなんにもしない攻ってどうよ?というか、せめて手でとか口でとか自分で……(自主規制)
――まあ、いろいろと思うところがあったわけです。
いえ、なにもわたしだって、杉浦さんにぐっちょぐちょの糸引いてるようなエロを期待していたわけではないのです。
人にはそれぞれ、作風とか傾向とか得意不得意というものがあります。汁の飛び散り方やナニの微妙なトーンワーク、イッたときの表情に命を懸ける人もいれば、繊細な台詞まわしや切なげな表情、幾重にも張りめぐらされた伏線なんかに力を入れる人だっているでしょう。
それはそれでいいのです。
いいのですが、最後の最後くらいは「裸で抱きあってチュー→朝ベッドのなかでまったりしている二人」的な絵があってもよかったような……花も嵐も乗り越えて、最後は長年連れ添った夫婦のような様相を呈するに至った二人ですが、実際のところやってるのかやっていないのか気になって仕方がありません。(やってなさそう……)
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「どうでもいい女の尻を、いつまでも未練たらしく追いかけてろよ」
2004年1月25日『細雪剣舞』
『凶剣凍夜』(瀬川貴次著・コバルト文庫)
最近ホモがやたらと多いコバルト文庫ですが、これはそうではありません。
「暗夜鬼譚」というシリーズの18冊目と19冊目になります。……うわあ、長い。
前作までは同じ集英社のスーパーファンタジー文庫から出ていたのですが、この2冊からコバルトに移動です。といっても別にコバルト路線(=ホモ)に変更になったわけではなく、単にそちらのレーベルがなくなったようなのですが。
そんなこんなで、改めて数えなおすと気が遠くなりそうな冊数ですね。
このシリーズと出会ったのはたしか高校3年のときで、当時すでに10冊ほどあった既刊を、若さと受験勉強イヤさにまかせて一気買い&一気読みした記憶があります。
それから6年余り経ちましたが、当時ほどの情熱と熱狂はないものの、新刊が出たと聞くとつい買って読んでしまう、いってみれば愛着のあるシリーズです。
大まかなストーリーとしては、平安時代の中期、帝に仕える公達である主人公・夏樹が、親友の陰陽師・一条や馬頭鬼のあおえと共に都に起こる怪奇現象に立ち向かっていく話です。
もともと時代物が好きで、当時すでに「主人公+親友」という男二人の友情ものに弱いという自覚はあったのですが、今になってみるとその「萌え」がより具体的に見えてきて、苦笑するほかありませんね。
個人的になにより重要なのは、かれらの年齢です。
シリーズ一巻当時、夏樹くんは15歳、一条さんは一つ上の16歳(平安物なので数えでかもしれませんが)。
当時はすでに成人扱いとはいえ、現代ではまだまだお子様。もちろん働いている人もいないわけではありませんが、それでも周囲からは、大目に見てもらうこともあれば半人前扱いされることもあるのが現状でしょう。
そういう年齢の子たちが、大人たちに混じって一人前の顔をして仕事をしているのかと思うと、それだけでわたしは萌えます。俗にいう「ご飯三杯」というやつです。
いえ、実際には当時も周囲からは半人前に見られていたのかもしれませんが、少なくとも本人たちは自分のことを「大人」だと思っているわけです。現代の高卒〜二十歳以上の新入社員と同じような感覚なのかもしれませんが、最初にいったように重要なのは年齢です。
わたしは15〜16歳くらいが一番好きなのです。これはすでに病気です。
ただ、自分が病に罹っていること自体は数年前から自覚していたのですが、まさか自分がかれらと1つ2つしか離れていない歳のころからそのケがあったとは思いもよらず、今さらながら納得するというか、呆れるというか……
さすがにそれ以下の年齢のときには、その手の嗜好はなかったと思いますが、つくづく病の深さを思い知らされる出来事です。
『凶剣凍夜』(瀬川貴次著・コバルト文庫)
最近ホモがやたらと多いコバルト文庫ですが、これはそうではありません。
「暗夜鬼譚」というシリーズの18冊目と19冊目になります。……うわあ、長い。
前作までは同じ集英社のスーパーファンタジー文庫から出ていたのですが、この2冊からコバルトに移動です。といっても別にコバルト路線(=ホモ)に変更になったわけではなく、単にそちらのレーベルがなくなったようなのですが。
そんなこんなで、改めて数えなおすと気が遠くなりそうな冊数ですね。
このシリーズと出会ったのはたしか高校3年のときで、当時すでに10冊ほどあった既刊を、若さと受験勉強イヤさにまかせて一気買い&一気読みした記憶があります。
それから6年余り経ちましたが、当時ほどの情熱と熱狂はないものの、新刊が出たと聞くとつい買って読んでしまう、いってみれば愛着のあるシリーズです。
大まかなストーリーとしては、平安時代の中期、帝に仕える公達である主人公・夏樹が、親友の陰陽師・一条や馬頭鬼のあおえと共に都に起こる怪奇現象に立ち向かっていく話です。
もともと時代物が好きで、当時すでに「主人公+親友」という男二人の友情ものに弱いという自覚はあったのですが、今になってみるとその「萌え」がより具体的に見えてきて、苦笑するほかありませんね。
個人的になにより重要なのは、かれらの年齢です。
シリーズ一巻当時、夏樹くんは15歳、一条さんは一つ上の16歳(平安物なので数えでかもしれませんが)。
当時はすでに成人扱いとはいえ、現代ではまだまだお子様。もちろん働いている人もいないわけではありませんが、それでも周囲からは、大目に見てもらうこともあれば半人前扱いされることもあるのが現状でしょう。
そういう年齢の子たちが、大人たちに混じって一人前の顔をして仕事をしているのかと思うと、それだけでわたしは萌えます。俗にいう「ご飯三杯」というやつです。
いえ、実際には当時も周囲からは半人前に見られていたのかもしれませんが、少なくとも本人たちは自分のことを「大人」だと思っているわけです。現代の高卒〜二十歳以上の新入社員と同じような感覚なのかもしれませんが、最初にいったように重要なのは年齢です。
わたしは15〜16歳くらいが一番好きなのです。これはすでに病気です。
ただ、自分が病に罹っていること自体は数年前から自覚していたのですが、まさか自分がかれらと1つ2つしか離れていない歳のころからそのケがあったとは思いもよらず、今さらながら納得するというか、呆れるというか……
さすがにそれ以下の年齢のときには、その手の嗜好はなかったと思いますが、つくづく病の深さを思い知らされる出来事です。
「君にワルツを教えたい」
2004年1月9日『薔薇とボディガード』
『星とボディガード』
『琥珀とボディガード』
『ボディガードの告白』
『海とボディガード』
『探偵とボディガード』(たけうちりうと著・SHYノベルズ)
なんとも痛快なシリーズでした。
前々から読みたいと思っていたというのもあるのですが、これだけの冊数を一気に読破。これに、以前読んだ『紳士とペナルティ』を加えると、シリーズ全巻になります(完結済)。
このシリーズの見どころは、なんといっても「読んでも読んでも美形ばかり」ということでしょう。
日系アメリカ人の主人公(受)が、東部の警護会社へ就職したところからストーリーは始まるのですが、社長の方針でボディガードは皆美形。
主人公曰く、「警護職に就いている全員が(ついでに社長も)、モデルか俳優かというような美男美女揃い」。
たしかに、四六時中側についてまわられるボディガードがゴルゴみたいな顔だったら、ちょっと暑苦しい感じがしますよね。ゴルゴはあれでいい男かもしれませんが、とりあえずホモ小説の登場人物としては、一般受けしないタイプです。
とはいえ、顔がいいだけで務まる仕事ではありません。
ときには命がけで依頼主を守り抜くだけあって、かれらはいずれも優れた能力の持ち主です。精神的にも肉体的にもタフであるのはもちろんのこと、頭脳だって優秀でなければなりません。
いわば、精鋭中の精鋭。顔がいい上に仕事もできる男たち……ホモ好きとしては、拍手喝采したくなるような職場環境ですね。
そのうえ仕事が仕事だけに、有名人や要人、実業家なども続々登場。人気のロックスター、若くして事業に成功した大富豪、天才と呼ばれたスター・スケーター、美貌の映画俳優……なんとも豪華な顔ぶれです。
この錚錚たる面子のなかへ入っていった主人公ですが、かれがまたすごい。
といっても、スキップして大学を卒業、射撃の名手でバイアスロンのゴールドメダリスト、などという経歴はこの際関係ありません。
かれの武器は、日系人特有のベビーフェイス。これにアラスカ育ちの素直さが加わればもう無敵です。
社長方針から鑑みるに、警護職のメンバーになることができたという時点で、かれの容姿もなかなかだということがわかりますが、出社一日目にして警備部門のリーダー(攻)をカメラ越しに瞬殺したことからも、その威力は相当なものだということがわかるでしょう。
多少のすったもんだの末、恋人同士となるかれらですが、その後も主人公は行く先々で依頼主たちを魅了していきます。
なかでも一番面白かったのは、『琥珀とボディガード』。
この巻では凄腕のテロリスト相手に、水面下で「惚れさせるか殺られるか」のスリリングなせめぎ合いを繰り広げる上、主人公は「親子で惚れさせる」という離れ業(?)をもやってのけます。
番外編(『紳士とペナルティ』『ボディガードの告白』)の主人公が確信犯的たらしなら、この主人公はさしづめ天然のたらしでしょう。
無自覚にやっているとはいえ、かれが、金や地位・美貌など他人が羨むものをいくつも兼ね備えた人々の心を次々と捉えていく(しかも本命はキープしてある)ようすには、見ていて爽快な気分になります。これぞ受の本領発揮といったところです。
しかし、依頼主もボディガードを雇うまえに、もう少し(ボディ以外の部分)をなんとかする必要があるのではないかと、他人事ながら思いました。
『星とボディガード』
『琥珀とボディガード』
『ボディガードの告白』
『海とボディガード』
『探偵とボディガード』(たけうちりうと著・SHYノベルズ)
なんとも痛快なシリーズでした。
前々から読みたいと思っていたというのもあるのですが、これだけの冊数を一気に読破。これに、以前読んだ『紳士とペナルティ』を加えると、シリーズ全巻になります(完結済)。
このシリーズの見どころは、なんといっても「読んでも読んでも美形ばかり」ということでしょう。
日系アメリカ人の主人公(受)が、東部の警護会社へ就職したところからストーリーは始まるのですが、社長の方針でボディガードは皆美形。
主人公曰く、「警護職に就いている全員が(ついでに社長も)、モデルか俳優かというような美男美女揃い」。
たしかに、四六時中側についてまわられるボディガードがゴルゴみたいな顔だったら、ちょっと暑苦しい感じがしますよね。ゴルゴはあれでいい男かもしれませんが、とりあえずホモ小説の登場人物としては、一般受けしないタイプです。
とはいえ、顔がいいだけで務まる仕事ではありません。
ときには命がけで依頼主を守り抜くだけあって、かれらはいずれも優れた能力の持ち主です。精神的にも肉体的にもタフであるのはもちろんのこと、頭脳だって優秀でなければなりません。
いわば、精鋭中の精鋭。顔がいい上に仕事もできる男たち……ホモ好きとしては、拍手喝采したくなるような職場環境ですね。
そのうえ仕事が仕事だけに、有名人や要人、実業家なども続々登場。人気のロックスター、若くして事業に成功した大富豪、天才と呼ばれたスター・スケーター、美貌の映画俳優……なんとも豪華な顔ぶれです。
この錚錚たる面子のなかへ入っていった主人公ですが、かれがまたすごい。
といっても、スキップして大学を卒業、射撃の名手でバイアスロンのゴールドメダリスト、などという経歴はこの際関係ありません。
かれの武器は、日系人特有のベビーフェイス。これにアラスカ育ちの素直さが加わればもう無敵です。
社長方針から鑑みるに、警護職のメンバーになることができたという時点で、かれの容姿もなかなかだということがわかりますが、出社一日目にして警備部門のリーダー(攻)をカメラ越しに瞬殺したことからも、その威力は相当なものだということがわかるでしょう。
多少のすったもんだの末、恋人同士となるかれらですが、その後も主人公は行く先々で依頼主たちを魅了していきます。
なかでも一番面白かったのは、『琥珀とボディガード』。
この巻では凄腕のテロリスト相手に、水面下で「惚れさせるか殺られるか」のスリリングなせめぎ合いを繰り広げる上、主人公は「親子で惚れさせる」という離れ業(?)をもやってのけます。
番外編(『紳士とペナルティ』『ボディガードの告白』)の主人公が確信犯的たらしなら、この主人公はさしづめ天然のたらしでしょう。
無自覚にやっているとはいえ、かれが、金や地位・美貌など他人が羨むものをいくつも兼ね備えた人々の心を次々と捉えていく(しかも本命はキープしてある)ようすには、見ていて爽快な気分になります。これぞ受の本領発揮といったところです。
しかし、依頼主もボディガードを雇うまえに、もう少し(ボディ以外の部分)をなんとかする必要があるのではないかと、他人事ながら思いました。
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「男ってのは、言葉よりも行動で示す生き物だから」
2003年12月26日『鋼の錬金術師』1〜6巻(荒川弘作・ガンガンコミックス)
めずらしく流行りものに手をだしてみました。
普通におもしろかったです。3巻ずつ買ったのですが、どちらのときも手元にある巻をノンストップで読破。
ラブもチューもない話って新鮮だなあと思っていたら、それもそのはず、これが今年初の少年マンガです。
ちなみに去年は、1冊も読んでいないような気がします。一昨年は何作か読んで、そのうちの一つにエライ目に遭いました。(わかる人だけ笑ってください)
そんなわけで、どうせ読むなら冬コミ前だろ!と勢い込んで読んだものの、とくに萌えず、拍子抜けのようなホッとしたような……
大佐ってもっと冷酷なエリート然とした人だと思っていました。(でも受)例えるなら『金田一少年の事件簿』にでてくる明智警視のような――なにをもってそう思い込んだのかはきかないでやってください。どうでもいいですが、大佐ってしょうゆ顔ですね。
それから、主人公・エドくんの年恰好が大変ストライクゾーンだったので危惧していたのですが、それほどでもなく。
やはり、相手が鎧(決めつけてるし)ではどうにもならないからなーと思っていたのですが、「錬成」する手があると聞いて開眼。弟くんのフンドシの下については前々から気になっていたのですが、そういう秘密があったとは思いもよりませんでした。
というか、錬成なら大きさも形も思いのままですよね。しかも、(中で)大きくなるとか振動するとか回転するとか、いろいろな機能をつけられそうです。
鬼畜弟(すでに性格までちがうし)に責められる兄……
………………
…………
……
どうしよう、すごく読んでみたい……
めずらしく流行りものに手をだしてみました。
普通におもしろかったです。3巻ずつ買ったのですが、どちらのときも手元にある巻をノンストップで読破。
ラブもチューもない話って新鮮だなあと思っていたら、それもそのはず、これが今年初の少年マンガです。
ちなみに去年は、1冊も読んでいないような気がします。一昨年は何作か読んで、そのうちの一つにエライ目に遭いました。(わかる人だけ笑ってください)
そんなわけで、どうせ読むなら冬コミ前だろ!と勢い込んで読んだものの、とくに萌えず、拍子抜けのようなホッとしたような……
大佐ってもっと冷酷なエリート然とした人だと思っていました。(でも受)例えるなら『金田一少年の事件簿』にでてくる明智警視のような――なにをもってそう思い込んだのかはきかないでやってください。どうでもいいですが、大佐ってしょうゆ顔ですね。
それから、主人公・エドくんの年恰好が大変ストライクゾーンだったので危惧していたのですが、それほどでもなく。
やはり、相手が鎧(決めつけてるし)ではどうにもならないからなーと思っていたのですが、「錬成」する手があると聞いて開眼。弟くんのフンドシの下については前々から気になっていたのですが、そういう秘密があったとは思いもよりませんでした。
というか、錬成なら大きさも形も思いのままですよね。しかも、(中で)大きくなるとか振動するとか回転するとか、いろいろな機能をつけられそうです。
鬼畜弟(すでに性格までちがうし)に責められる兄……
………………
…………
……
どうしよう、すごく読んでみたい……
「襲うときは後ろから。基本です」
2003年12月22日『野原のロマンス』(たけうちりうと著・パレット文庫)
この日記では初のたけうち本。
一言でいうなら、童話「みにくいアヒルの子」のホモ小説バージョンです。
――と書くと、読んだことのある人から「そんなことあるか」とお叱りをうけそうですね。
むろんホモ小説の主人公がみにくいわけもなく、かれは女装すればとびきりの美少女に変身するれっきとした受なのですが、いかんせんかれは自分が受であることを知らなかった。
この本は「こゆるぎ探偵」というシリーズの番外編にあたるのですが、こともあろうに、かれは本編の受に恋心を抱いてしまったのです。
しかし、男同士の恋ならぬ受同士の恋など、自然界の掟ならぬホモ小説界の掟が許すはずありません。
当然のことながら、本編の受には本編の攻がいて、かれに邪魔されたりあるいは目に見えない掟の力によって、主人公(受)は勉学も半ばにして満足な告白すらままならぬまま、旧制中学を後にします。
思うにこれは、受であるにもかかわらず、男ばかりの旧制中学で男もつくらず趣味の勉学に熱中して、汗臭くハンダ塗れになっていた報いでしょう。
やはり己のなんたるかを知らず、受としての本分を全うしないと、ろくなことにはならないのです。
たとえどんなことをするにしても、己を知るのは大切だということですね。
採用面接にしても、自己分析ができていないうちはポンポン落とされるわけです。まあそれ以前の問題で落とされることもあるわけですが。
そんなわけで、実家の旅館へもどった主人公(受)ですが、そこでかれは人生の転機を迎えます。
すなわち攻との出逢いです。かれと一つ屋根の下で暮らすうち、受としての自分に目覚めた主人公(受)。そこから事態はどんどん良いほうへと向かっていきます。
父親の病気も快方へ向かい、借金による旅館の買収も免れ、腕のいい板前である攻の協力で、傾きかけた旅館もなんとか持ち直します。
よくある占いグッズの広告か、進研ゼミの勧誘マンガのようですね。(いまでもあるんでしょうか?)
つまりこの話には「みにくいアヒルの子」同様、自分の本当の姿を知らなければ幸せも歩いてこない、という深ーい教訓が含まれていたのでした。
ためになる話です。
最後に、これを読んで自分の属性(受か攻か)に不安を抱いたひとのために、受度/攻度チェック http://members.at.infoseek.co.jp/koumonn/ko-kura/homo/talks/talk4.html を紹介しておきます。
自分は絶対に攻だ!と思っているひとも、もしかしたら受かもしれない……と思っているひとも、ぜひお試しください。
あなたの人生、これで変わるかもしれませんよ。
この日記では初のたけうち本。
一言でいうなら、童話「みにくいアヒルの子」のホモ小説バージョンです。
――と書くと、読んだことのある人から「そんなことあるか」とお叱りをうけそうですね。
むろんホモ小説の主人公がみにくいわけもなく、かれは女装すればとびきりの美少女に変身するれっきとした受なのですが、いかんせんかれは自分が受であることを知らなかった。
この本は「こゆるぎ探偵」というシリーズの番外編にあたるのですが、こともあろうに、かれは本編の受に恋心を抱いてしまったのです。
しかし、男同士の恋ならぬ受同士の恋など、自然界の掟ならぬホモ小説界の掟が許すはずありません。
当然のことながら、本編の受には本編の攻がいて、かれに邪魔されたりあるいは目に見えない掟の力によって、主人公(受)は勉学も半ばにして満足な告白すらままならぬまま、旧制中学を後にします。
思うにこれは、受であるにもかかわらず、男ばかりの旧制中学で男もつくらず趣味の勉学に熱中して、汗臭くハンダ塗れになっていた報いでしょう。
やはり己のなんたるかを知らず、受としての本分を全うしないと、ろくなことにはならないのです。
たとえどんなことをするにしても、己を知るのは大切だということですね。
採用面接にしても、自己分析ができていないうちはポンポン落とされるわけです。まあそれ以前の問題で落とされることもあるわけですが。
そんなわけで、実家の旅館へもどった主人公(受)ですが、そこでかれは人生の転機を迎えます。
すなわち攻との出逢いです。かれと一つ屋根の下で暮らすうち、受としての自分に目覚めた主人公(受)。そこから事態はどんどん良いほうへと向かっていきます。
父親の病気も快方へ向かい、借金による旅館の買収も免れ、腕のいい板前である攻の協力で、傾きかけた旅館もなんとか持ち直します。
よくある占いグッズの広告か、進研ゼミの勧誘マンガのようですね。(いまでもあるんでしょうか?)
つまりこの話には「みにくいアヒルの子」同様、自分の本当の姿を知らなければ幸せも歩いてこない、という深ーい教訓が含まれていたのでした。
ためになる話です。
最後に、これを読んで自分の属性(受か攻か)に不安を抱いたひとのために、受度/攻度チェック http://members.at.infoseek.co.jp/koumonn/ko-kura/homo/talks/talk4.html を紹介しておきます。
自分は絶対に攻だ!と思っているひとも、もしかしたら受かもしれない……と思っているひとも、ぜひお試しください。
あなたの人生、これで変わるかもしれませんよ。
「いつもと違うことをしようか、」
2003年12月7日『若葉のころ』(長野まゆみ著・集英社)
ようやく読むことができました。『白昼堂々』シリーズの第四作目、最終巻です。
基本的に長野さんの本はみな好きなのですが、なかでもこのシリーズは別格で。一作目を読んだときから続きを心待ちにしていただけに、感慨もひとしおです。(そのわりには読んだ時期がアレだということはいわない約束で!)
なんといっても、このシリーズは長野さん初の「現代版ホモ小説」なのです。こう書くと身も蓋もありませんが、ここは肛くらなので。
もともと少年愛テイストの強かった長野作品ですが、従来は近未来やファンタジー、あるいは夢と現実の境界線のあやうい空間のなかで描かれてきたため、現実味のない、あくまでも別世界の話という感じだったのに比べて、このシリーズの舞台は「現代」!
――いえ、正確には70年代位なのですが、それでも現実の日本を舞台としているだけに、ある意味リアルで生々しい、地に足のついたホモなのです。
ストーリーはというと、もともとそういうケのあった主人公の凛一くん(中学3年生・たぶん受)が、従姉と間違われてキスされちゃったのをきっかけに、二つ年上の氷川くんにぞっこん惚れてしまい、以来ずっとかれを追いかけて格式ある家柄もなんのその、とうとう京都の大学まで行っちゃった――というのを、集英社から単行本で出せるくらいに文学的に書いた話です。
ノスタルジー漂う70年代、しかも主人公が華道の宗家の生まれということもあって、作中には長野さんの持ち味の一つでもある、日本的な情緒や凛とした雰囲気がふんだんに盛り込まれていますが、なんといってもこのシリーズ最大の見どころは、主人公の凛一くんとかれを取りまく人間関係でしょう。
生まれつき病弱で、従姉とうり二つの容姿。制服を着ていないと女の子に間違われてしまう凛一くん。
アメフトの選手だけあり、男らしく凛々しい氷川くんに、ちょっと強引に口づけられて、すっかり参ってしまいますが、対する氷川くんはいたってノーマルな性癖の持ち主です。
以前は従姉と付き合っていたこともあるというかれに、いくら従姉似といっても、男の凛一くんが割りこむ余地はそうそうありません。
そのため、凛一くんはつねに一歩退いたところから、氷川くんのことを想いつづけます。自分の存在がかれの負担になるようであれば、すぐに身をひく覚悟です。
氷川くんの試合を観戦するために新聞部へ入部したり、氷川くんを追いかけて京都の大学を受験したり……かれにそういう性癖がないことも、彼女をつくったりしていることも承知のうえで、それでも追いつづけるのです。
ときには彼女やその周囲の人々から嫌がらせをうけたり、あるときなど、業を煮やした彼女が直談判に乗り込んできたことさえありますが(修羅場だ!)、それでも凛一くんはあきらめません。けっして自分の気持ちを強引に押しつけたりはしないものの、絶対にあきらめないのです。
ここまでくると、殊勝とか健気を通り越して怖ろしいものがありますね。なまじ静かなだけに、強い情念を感じます。
さすが、幼い頃に両親と死に別れ、由緒ある古い家で厳格な祖母と二人きり、抑圧されながら育てられただけのことはあるといったところでしょうか。
とはいえ、対する氷川くんもつわものです。
人によっては胃に穴が空きかねない状況にもかかわらず、かれは相変わらずのマイペース。凛一くんの気持ちを知りながらも、受け容れるでなく拒絶するでなく、のらりくらりとつかず離れずの関係を保ちつづけます。
かれにとって、同性だというだけでは拒絶の理由にならないのです。だから試しにキスしてみたり、ときには体に触れてみたり。
いわばヘビの生殺し状態です。凛一くんにとっても、いっそ拒絶されたほうが、思い切りがつくというものでしょう。
でもそれをやらない。(まあそれがかれの誠実さでもあるわけですが)
さすがアメフト部のエースだけあります。なにがあっても動じません。
その一方で、凛一くん自身の周囲も一筋縄ではいきません。
じつはかれも結構モテるのです。もっとも、かれの場合はほぼ男性からのみなのですが。
一本芯は通っていても、どこか危うさを感じさせるあたりが男心をそそるのでしょうか。凛一くんの周囲には、歳の近い叔父や年下の従弟、あるいは高校の上級生など、何人もの男性がいます。
兄のような存在である叔父や、反抗的な態度をとりながらも付き纏ってくる従弟、攻撃的で容赦のない態度を見せながらも、脆いところをみせる上級生……そんなかれらに、ときには縋りたいと思うことはあるものの、結局はだれのことも受け容れません。かれが本当に欲しいと思っているのは、氷川くんだけなのです。
(もっとも基本的に従順なかれは、脱げといわれれば脱ぐし、キスだってあっさりさせてしまうのですが)
――とこんな感じで、錯綜する人間模様と、そのなかでふてぶてしいまでのしたたかさでもって氷川くんへの愛をつらぬく凛一くんの姿を楽しむのが、このシリーズの(肛くら的な)味わいかたかと。
ようやく読むことができました。『白昼堂々』シリーズの第四作目、最終巻です。
基本的に長野さんの本はみな好きなのですが、なかでもこのシリーズは別格で。一作目を読んだときから続きを心待ちにしていただけに、感慨もひとしおです。(そのわりには読んだ時期がアレだということはいわない約束で!)
なんといっても、このシリーズは長野さん初の「現代版ホモ小説」なのです。こう書くと身も蓋もありませんが、ここは肛くらなので。
もともと少年愛テイストの強かった長野作品ですが、従来は近未来やファンタジー、あるいは夢と現実の境界線のあやうい空間のなかで描かれてきたため、現実味のない、あくまでも別世界の話という感じだったのに比べて、このシリーズの舞台は「現代」!
――いえ、正確には70年代位なのですが、それでも現実の日本を舞台としているだけに、ある意味リアルで生々しい、地に足のついたホモなのです。
ストーリーはというと、もともとそういうケのあった主人公の凛一くん(中学3年生・たぶん受)が、従姉と間違われてキスされちゃったのをきっかけに、二つ年上の氷川くんにぞっこん惚れてしまい、以来ずっとかれを追いかけて格式ある家柄もなんのその、とうとう京都の大学まで行っちゃった――というのを、集英社から単行本で出せるくらいに文学的に書いた話です。
ノスタルジー漂う70年代、しかも主人公が華道の宗家の生まれということもあって、作中には長野さんの持ち味の一つでもある、日本的な情緒や凛とした雰囲気がふんだんに盛り込まれていますが、なんといってもこのシリーズ最大の見どころは、主人公の凛一くんとかれを取りまく人間関係でしょう。
生まれつき病弱で、従姉とうり二つの容姿。制服を着ていないと女の子に間違われてしまう凛一くん。
アメフトの選手だけあり、男らしく凛々しい氷川くんに、ちょっと強引に口づけられて、すっかり参ってしまいますが、対する氷川くんはいたってノーマルな性癖の持ち主です。
以前は従姉と付き合っていたこともあるというかれに、いくら従姉似といっても、男の凛一くんが割りこむ余地はそうそうありません。
そのため、凛一くんはつねに一歩退いたところから、氷川くんのことを想いつづけます。自分の存在がかれの負担になるようであれば、すぐに身をひく覚悟です。
氷川くんの試合を観戦するために新聞部へ入部したり、氷川くんを追いかけて京都の大学を受験したり……かれにそういう性癖がないことも、彼女をつくったりしていることも承知のうえで、それでも追いつづけるのです。
ときには彼女やその周囲の人々から嫌がらせをうけたり、あるときなど、業を煮やした彼女が直談判に乗り込んできたことさえありますが(修羅場だ!)、それでも凛一くんはあきらめません。けっして自分の気持ちを強引に押しつけたりはしないものの、絶対にあきらめないのです。
ここまでくると、殊勝とか健気を通り越して怖ろしいものがありますね。なまじ静かなだけに、強い情念を感じます。
さすが、幼い頃に両親と死に別れ、由緒ある古い家で厳格な祖母と二人きり、抑圧されながら育てられただけのことはあるといったところでしょうか。
とはいえ、対する氷川くんもつわものです。
人によっては胃に穴が空きかねない状況にもかかわらず、かれは相変わらずのマイペース。凛一くんの気持ちを知りながらも、受け容れるでなく拒絶するでなく、のらりくらりとつかず離れずの関係を保ちつづけます。
かれにとって、同性だというだけでは拒絶の理由にならないのです。だから試しにキスしてみたり、ときには体に触れてみたり。
いわばヘビの生殺し状態です。凛一くんにとっても、いっそ拒絶されたほうが、思い切りがつくというものでしょう。
でもそれをやらない。(まあそれがかれの誠実さでもあるわけですが)
さすがアメフト部のエースだけあります。なにがあっても動じません。
その一方で、凛一くん自身の周囲も一筋縄ではいきません。
じつはかれも結構モテるのです。もっとも、かれの場合はほぼ男性からのみなのですが。
一本芯は通っていても、どこか危うさを感じさせるあたりが男心をそそるのでしょうか。凛一くんの周囲には、歳の近い叔父や年下の従弟、あるいは高校の上級生など、何人もの男性がいます。
兄のような存在である叔父や、反抗的な態度をとりながらも付き纏ってくる従弟、攻撃的で容赦のない態度を見せながらも、脆いところをみせる上級生……そんなかれらに、ときには縋りたいと思うことはあるものの、結局はだれのことも受け容れません。かれが本当に欲しいと思っているのは、氷川くんだけなのです。
(もっとも基本的に従順なかれは、脱げといわれれば脱ぐし、キスだってあっさりさせてしまうのですが)
――とこんな感じで、錯綜する人間模様と、そのなかでふてぶてしいまでのしたたかさでもって氷川くんへの愛をつらぬく凛一くんの姿を楽しむのが、このシリーズの(肛くら的な)味わいかたかと。
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「……寵妃にしてやるよ。すべてが終わったら」
2003年10月9日『はいまーとろーぜ』全3巻(鈴木あみ著・アイスノベルズ)
"Heimat Rose"――ドイツ語で「故郷のバラ」を意味するこの小説。
なぜドイツ語?(ドイツが舞台ではない)
なぜバラ?(出てこない)
なぜひらがな?(最大の謎)
……という疑問は抱くものの、中身は上々。以前にweb上のレビューを読んで興味をもったのですが、期待に見合うおもしろさでした。
ストーリーは裏表紙のあらすじにもあるように、いわゆるラブロマンス。
それも、極寒の流刑島から華麗にして陰謀うずまく宮廷までを一気に駆けぬける、ジェットコースター・ロマンスです。
孤児として育ち、10歳のときから流刑島で暮らしていたチュール(受)。
無二の親友によって流刑に処され、復讐を誓う王族・レイ(攻)。
親友に濡れ衣を着せて陥れ、自らは王女と結婚することで次期国王の地位にまで上りつめた宰相・フェルマノワール。
そして、国王の一人娘としてなに不自由なく育ち、なにも知らずにフェルマノワールと結婚した深窓の姫君・オルタンス。
この4人をめぐり、陰謀あり、愛憎あり、駆け引きあり、女装あり(?)のドラマティックなストーリーが展開されていきます。
生まれ持った頭脳と腕で、看守亡き後、無法地帯と化していた島をあっという間に掌握したレイ。復讐のためならどんな非情なこともやってのけるかれに恐れを感じながらも、かれと共に都へいくことを決めたチュール。
かつての親友を裏切り、命さえも奪おうとしながらも、その帰還をだれよりも待ち望んでいたかのようなフェルマノワール。さらに、死んだはずのレイが生きて戻ってきたことで、自分の夫に疑惑を抱きはじめたオルタンス。
他にも、レイの忠実な部下にして女好きで気のいい兄貴分のラフや、不気味な実験を繰り返しながらも腕はたしかな医師・ギーシュ、女装したチュールに一目ぼれして、以来なにかと助けになってくれる公爵家の子息・アランといった個性的な脇役が登場するなど、恋愛以外の面においても並みのライトノベルスには引けをとりません。
そしてもちろん、忘れてはならないのがエロシーン!
これがまた、最初から最後までほとんどまんべんなくあるのですが、その一つ一つに作者のエロに対するこだわりが感じられます。
やる場所しかり、やり方しかり、どれをとっても同じパターンはありません! 言葉責めあり女装プレイありのお楽しみ満載です。(それほどマニアックではありませんが)
――そんなわけで、とても満足できたシリーズでした。
個人的にはもう少しコメディ色が強いほうがツボにはまったなと思うのですが、話のバランス的にはこれでいいのかなと。
"Heimat Rose"――ドイツ語で「故郷のバラ」を意味するこの小説。
なぜドイツ語?(ドイツが舞台ではない)
なぜバラ?(出てこない)
なぜひらがな?(最大の謎)
……という疑問は抱くものの、中身は上々。以前にweb上のレビューを読んで興味をもったのですが、期待に見合うおもしろさでした。
ストーリーは裏表紙のあらすじにもあるように、いわゆるラブロマンス。
それも、極寒の流刑島から華麗にして陰謀うずまく宮廷までを一気に駆けぬける、ジェットコースター・ロマンスです。
孤児として育ち、10歳のときから流刑島で暮らしていたチュール(受)。
無二の親友によって流刑に処され、復讐を誓う王族・レイ(攻)。
親友に濡れ衣を着せて陥れ、自らは王女と結婚することで次期国王の地位にまで上りつめた宰相・フェルマノワール。
そして、国王の一人娘としてなに不自由なく育ち、なにも知らずにフェルマノワールと結婚した深窓の姫君・オルタンス。
この4人をめぐり、陰謀あり、愛憎あり、駆け引きあり、女装あり(?)のドラマティックなストーリーが展開されていきます。
生まれ持った頭脳と腕で、看守亡き後、無法地帯と化していた島をあっという間に掌握したレイ。復讐のためならどんな非情なこともやってのけるかれに恐れを感じながらも、かれと共に都へいくことを決めたチュール。
かつての親友を裏切り、命さえも奪おうとしながらも、その帰還をだれよりも待ち望んでいたかのようなフェルマノワール。さらに、死んだはずのレイが生きて戻ってきたことで、自分の夫に疑惑を抱きはじめたオルタンス。
他にも、レイの忠実な部下にして女好きで気のいい兄貴分のラフや、不気味な実験を繰り返しながらも腕はたしかな医師・ギーシュ、女装したチュールに一目ぼれして、以来なにかと助けになってくれる公爵家の子息・アランといった個性的な脇役が登場するなど、恋愛以外の面においても並みのライトノベルスには引けをとりません。
そしてもちろん、忘れてはならないのがエロシーン!
これがまた、最初から最後までほとんどまんべんなくあるのですが、その一つ一つに作者のエロに対するこだわりが感じられます。
やる場所しかり、やり方しかり、どれをとっても同じパターンはありません! 言葉責めあり女装プレイありのお楽しみ満載です。(それほどマニアックではありませんが)
――そんなわけで、とても満足できたシリーズでした。
個人的にはもう少しコメディ色が強いほうがツボにはまったなと思うのですが、話のバランス的にはこれでいいのかなと。
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「17歳!! かたぎでばかりはおられませぬ!!」
2003年10月2日『あ〜ら わが殿!』(木原敏江作・秋田文庫)
今回は意表をついて古典に挑戦――と思いきや、わかるひとにはわかる……
この本、じつはかの名作『摩利と新吾』の前作にしてその原型のようなお話で、まりしん以下、持堂院のメンバーがかなり出てきているのです。(といってもわたし自身、まりしんは1巻しか読んだことがないのですが)
明治時代の旧制高校、なんて聞くだけでザーメンのかほりがしてきますよね。
とはいえ、この話の主人公は女の子。まりしんたちの学ぶ学校・持堂院のとなりにある、なでしこ女学院の生徒。ふだんはもっぱらホモ専のわたしとしては、暇つぶしのつもりで読みはじめたのですが、これが思いのほかおもしろい。
少しずつ読むはずが、一気に読んでしまいました。さすが古典です。大御所です。
ストーリーはというと、日本初の男女共学校をつくるためのテストケース生として、主人公が同級生や先輩とともに持堂院で生活することになるのですが、これがまたハチャメチャのドタバタコメディ。
なにしろ彼女たちは、男性上位の世の中において、これを機に女性優位を確立する(!)という重大な使命を帯びているのです。
2年生ばかりのメンバーの中、1年生の主人公が選ばれた理由というのが「剣道二段」、おなじく1年生の主人公の友人が選ばれた理由にしても、「男性にかけては天才的としかいいようのない手腕と関心をもっている」と理事長みずからがいってのけることからも、その意気ごみは察せられますね。
もはや、なにをしに学校へいくのかすらわかりません。
ところが、相手もつわもの。
まりしんをはじめとした、いずれもきらびやかにして個性的な面々を前に、あっというまに心を奪われた女生徒に対して、男子生徒がいったことはというと。
「女が男と同等になにかするという考えじたいゆるしがたい」
「へたに学問させると、女はなまいきになって手がつけられなくなるからな」
徹底的な男尊女卑のことばです。男子生徒にとっても、これは戦いだったのですね。
こうしてはじまった波乱の合同授業。
教室にはバリケードが築かれ、廊下は男女で離れて歩く。主人公は男子寮にスパイとして潜りこみ、女教師(美人!)は薙刀片手に救出に向かいます。
そして先生の美貌に悩殺されるA君(仮名)! そのA君にひそかに想いを寄せていた主人公とB君(仮名)! 主人公のことがすきだったC君(仮名)! 傷心のあまり他の女生徒に声をかけるB君(仮名)! 先生の恋人(じつは持堂院の生徒だった)は身を引こうとし、さらに全然関係のないところで、ラブレターを101通ももらっている主人公の友人(ラブの天才)!
ほかにも、学園祭の演目「椿姫」の準備を進めるかたわらで、ヘリオガバレス流のリンチ(薔薇の花の香りで窒息させる)が行われたり、なにかと美少年と絡むおいしい役どころの主人公(なにせ少女マンガなので)は嫉妬した友人や上級生によって吊るしあげをくらったりと、息もつかせぬ展開です。
やがてモロモロのことが明るみにでて、すわ破局かと思いきや、そこで登場するのがラブの天才。
いままで主人公にいじわるばかりしていたにもかかわらず、「やはり友だちの涙は見たくないのよね。まあかたいことはいわないで」とあっさり流して一気に解決。
さすがラブの天才……この切りかえの早さはおおいに見習いたいものです。
そんなラブの天才の働きあってか、さいごはみんなそれなりに幸せになって――というか、カップルが続出。先生なんて(生徒と)かけおちしていましたよ。うーん。
でもまあ、大団円ということで。仲良きことは美しきかな……
古典からは学ぶことが多いですね。
今回は意表をついて古典に挑戦――と思いきや、わかるひとにはわかる……
この本、じつはかの名作『摩利と新吾』の前作にしてその原型のようなお話で、まりしん以下、持堂院のメンバーがかなり出てきているのです。(といってもわたし自身、まりしんは1巻しか読んだことがないのですが)
明治時代の旧制高校、なんて聞くだけでザーメンのかほりがしてきますよね。
とはいえ、この話の主人公は女の子。まりしんたちの学ぶ学校・持堂院のとなりにある、なでしこ女学院の生徒。ふだんはもっぱらホモ専のわたしとしては、暇つぶしのつもりで読みはじめたのですが、これが思いのほかおもしろい。
少しずつ読むはずが、一気に読んでしまいました。さすが古典です。大御所です。
ストーリーはというと、日本初の男女共学校をつくるためのテストケース生として、主人公が同級生や先輩とともに持堂院で生活することになるのですが、これがまたハチャメチャのドタバタコメディ。
なにしろ彼女たちは、男性上位の世の中において、これを機に女性優位を確立する(!)という重大な使命を帯びているのです。
2年生ばかりのメンバーの中、1年生の主人公が選ばれた理由というのが「剣道二段」、おなじく1年生の主人公の友人が選ばれた理由にしても、「男性にかけては天才的としかいいようのない手腕と関心をもっている」と理事長みずからがいってのけることからも、その意気ごみは察せられますね。
もはや、なにをしに学校へいくのかすらわかりません。
ところが、相手もつわもの。
まりしんをはじめとした、いずれもきらびやかにして個性的な面々を前に、あっというまに心を奪われた女生徒に対して、男子生徒がいったことはというと。
「女が男と同等になにかするという考えじたいゆるしがたい」
「へたに学問させると、女はなまいきになって手がつけられなくなるからな」
徹底的な男尊女卑のことばです。男子生徒にとっても、これは戦いだったのですね。
こうしてはじまった波乱の合同授業。
教室にはバリケードが築かれ、廊下は男女で離れて歩く。主人公は男子寮にスパイとして潜りこみ、女教師(美人!)は薙刀片手に救出に向かいます。
そして先生の美貌に悩殺されるA君(仮名)! そのA君にひそかに想いを寄せていた主人公とB君(仮名)! 主人公のことがすきだったC君(仮名)! 傷心のあまり他の女生徒に声をかけるB君(仮名)! 先生の恋人(じつは持堂院の生徒だった)は身を引こうとし、さらに全然関係のないところで、ラブレターを101通ももらっている主人公の友人(ラブの天才)!
ほかにも、学園祭の演目「椿姫」の準備を進めるかたわらで、ヘリオガバレス流のリンチ(薔薇の花の香りで窒息させる)が行われたり、なにかと美少年と絡むおいしい役どころの主人公(なにせ少女マンガなので)は嫉妬した友人や上級生によって吊るしあげをくらったりと、息もつかせぬ展開です。
やがてモロモロのことが明るみにでて、すわ破局かと思いきや、そこで登場するのがラブの天才。
いままで主人公にいじわるばかりしていたにもかかわらず、「やはり友だちの涙は見たくないのよね。まあかたいことはいわないで」とあっさり流して一気に解決。
さすがラブの天才……この切りかえの早さはおおいに見習いたいものです。
そんなラブの天才の働きあってか、さいごはみんなそれなりに幸せになって――というか、カップルが続出。先生なんて(生徒と)かけおちしていましたよ。うーん。
でもまあ、大団円ということで。仲良きことは美しきかな……
古典からは学ぶことが多いですね。
「それとも縛られたほうが、よかった?」
2003年9月11日『悪魔の虜』
『わがままな神様』(四谷シモーヌ著・キララノベルス)
前作『悪魔の奴隷』につづくシリーズ。タイトルだけ見るとやたら迫力がありますが、実際は門地さんのイラストもキュートな学園物です。
しかし、本人自らあとがきで「政治オタク」を自任するシモーヌさんの描く学園物は、学園は学園でも、そんじょそこらの学園とは一味も二味もちがいます。
というのも、「総裁」のいる学園なのです。
なんてったって総裁。
……。
すごいですね。おまけにタイムリーです。(注:これはわたしの読んだ時期がたまたま、というだけですが)
要は生徒会長のことを、この学園では「総裁」と呼ぶ習わしになっているのですが、それも良家の子弟ばかりが通う名門校であればなんとなく納得……できるような、できないような。
いずれにせよ、この学園における「総裁」は、絶対的な権力をもっているのです。その決定たるや、教師でさえも逆らうことはできないというのだから、党内すらもまとめられないどこかの国の党首からみると、夢のような学園ですね。
そして総裁がいれば、もちろんいるのが副総裁。(どこかの党の副総裁は臨時職ですが)
しかも、かれとかれとは恋人同士。(現実もそうだったらおもしろいのに)
美形で有能、しかも年下の副総裁のかれ(攻)は、学園の中では総裁のかれ(受)に絶対服従を誓うかわりに、ベッドのなかでは総裁に絶対服従させるのです。
このベッドにおける暴君ぶりもなかなか読み応えがありますが、すごいのはそれだけではありません。
やはり特筆すべきは、昼間の総裁に対する尽くしっぷりでしょう。
前々回の日記でも、攻くんは命を張って受くんに尽くしていましたが、今回の副総裁のがんばりぶりも相当なものです。
家では家事能力ゼロの総裁のため、ベッドメイクからディナーの支度まで、身の回りの世話を完璧にこなし、(このシリーズのかれらも同居しているのです。同じく両親が仕事で家を空けているからなのですが……最近の親はなにをやっているんだ?)なにより学園においては、何もできない総裁(いえ、あくまでもこの本の総裁が、ですよ?)のかわりに生徒会の仕事を一手に引き受けます。
はては、予算のことも考えずに企画を立てる総裁のかげで、株を売買して費用の捻出までするしまつ。いくらコンピューターの天才で、すでにアメリカの大学院を卒業している身とはいえ、ディーリングで金をもうける高校生……のみならず、かれはその荒稼ぎでアメリカ市場を混乱にまで陥れるのです。末恐ろしい高校一年生ですね。
しかも、そのときのセリフが奮っています。
「いくら生徒会予算のためとはいえ、自分の勝手でアメリカ経済を混乱させたことを謝ります」
……いくらもなにも、日本の一学校の生徒会予算のために、アメリカ経済を混乱させたらダメですよね。
このへんの判断が、まだまだお子様ということでしょうか。
『わがままな神様』(四谷シモーヌ著・キララノベルス)
前作『悪魔の奴隷』につづくシリーズ。タイトルだけ見るとやたら迫力がありますが、実際は門地さんのイラストもキュートな学園物です。
しかし、本人自らあとがきで「政治オタク」を自任するシモーヌさんの描く学園物は、学園は学園でも、そんじょそこらの学園とは一味も二味もちがいます。
というのも、「総裁」のいる学園なのです。
なんてったって総裁。
……。
すごいですね。おまけにタイムリーです。(注:これはわたしの読んだ時期がたまたま、というだけですが)
要は生徒会長のことを、この学園では「総裁」と呼ぶ習わしになっているのですが、それも良家の子弟ばかりが通う名門校であればなんとなく納得……できるような、できないような。
いずれにせよ、この学園における「総裁」は、絶対的な権力をもっているのです。その決定たるや、教師でさえも逆らうことはできないというのだから、党内すらもまとめられないどこかの国の党首からみると、夢のような学園ですね。
そして総裁がいれば、もちろんいるのが副総裁。(どこかの党の副総裁は臨時職ですが)
しかも、かれとかれとは恋人同士。(現実もそうだったらおもしろいのに)
美形で有能、しかも年下の副総裁のかれ(攻)は、学園の中では総裁のかれ(受)に絶対服従を誓うかわりに、ベッドのなかでは総裁に絶対服従させるのです。
このベッドにおける暴君ぶりもなかなか読み応えがありますが、すごいのはそれだけではありません。
やはり特筆すべきは、昼間の総裁に対する尽くしっぷりでしょう。
前々回の日記でも、攻くんは命を張って受くんに尽くしていましたが、今回の副総裁のがんばりぶりも相当なものです。
家では家事能力ゼロの総裁のため、ベッドメイクからディナーの支度まで、身の回りの世話を完璧にこなし、(このシリーズのかれらも同居しているのです。同じく両親が仕事で家を空けているからなのですが……最近の親はなにをやっているんだ?)なにより学園においては、何もできない総裁(いえ、あくまでもこの本の総裁が、ですよ?)のかわりに生徒会の仕事を一手に引き受けます。
はては、予算のことも考えずに企画を立てる総裁のかげで、株を売買して費用の捻出までするしまつ。いくらコンピューターの天才で、すでにアメリカの大学院を卒業している身とはいえ、ディーリングで金をもうける高校生……のみならず、かれはその荒稼ぎでアメリカ市場を混乱にまで陥れるのです。末恐ろしい高校一年生ですね。
しかも、そのときのセリフが奮っています。
「いくら生徒会予算のためとはいえ、自分の勝手でアメリカ経済を混乱させたことを謝ります」
……いくらもなにも、日本の一学校の生徒会予算のために、アメリカ経済を混乱させたらダメですよね。
このへんの判断が、まだまだお子様ということでしょうか。
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「……お前になら捕らわれてやっていいと、思い始めている」
2003年9月5日『闇の接吻』(雅 桃子著・リーフノベルズ)
久しぶりに読んだ雅さんの本はファンタジー物です。
いえ雅さんの手にかかれば、学園物だろうがリーマン物だろうがたちまちファンタジーになってしまいますが、今回の本は正真正銘、どこからどうみてもファンタジーです。あ、ご本人によれば「ファンタジィ」ですね。
なんたってこの本、鬼がでてくるのです。といってもホモ小説ですからそこはそれ、トラ皮パンツに棍棒ルックなどという格好ではありません。いずれも劣らぬ美形ぞろい。銀髪碧眼の鬼の王様をはじめとして、次々に美麗な鬼が登場してきます。
物語は、鬼たちへ生贄として捧げられた少年(受)が、運命に導かれるように鬼の王(攻)と出会い愛を育んでいくさまを、めくるめくスピードで綴っていくわけですが、嫉妬に狂って受を殺そうとする姉あり、受に横恋慕するあまり発狂してしまう鬼その1ありと、息つく間さえありません。
その間にも途切れなく挿入されるエロシーン。さすがリーフ! さすが雅さん! 伊達にリーフから(この本の時点で)31冊出しているわけではありません。
しかし、なんといっても一番すごいところは、雅さんがこの本で提案している「新しい鬼スタイル@ホモ小説」でしょう。
鬼の一族には女がいないため、人間の女性に子供を産ませることで子孫を残しているのですが、そこでは女性は、「子供を産む道具」としてしか見なされていないのです。交われば一度で孕み、年老いて子供を産めなくなれば食べられてしまいます。「道具」として大事にはされますが、恋愛の対象とはなりえないのです。
そして、そんな彼らが永遠の愛を誓う相手はもちろん男性。鬼が人間の男と交わるのはただ一人、永遠の愛を捧げると決めた相手のみなのです。
なんという斬新な設定でしょう。ホモ小説の批評には時々、「男同士ならではの恋愛」などという褒め言葉があったり、逆に「男女の恋愛でもふつうに成立する」という批判があげられることがありますが、これはまさに角界ロマンスとならぶ、「男同士でしかできない恋愛」です。
しかも、それにはきびしい制約があります。なんと彼らは、相思相愛の相手としか交わることができないのです。この話のなかでも、受に横恋慕する(というか最初に目をつけていた)鬼その1が強引に交わろうとするのですが、なぜか×××が入らない。入れようとすると激痛が走るのです。
それは鬼その1の×××が受の腕サイズだからではなく、双方の想いが通じ合っていないと行為自体が成立しないという鬼の習性(?)によるものなのです。
思うに、それは鬼のからだに秘密があるのでしょう。一般的に受の××は、多少強引なプレイをされても受けいれることができるものです。流血しようが痛かろうが、入らないことはありません。たとえ腕サイズだろうが、入っているのを見たことがあります。(注:本のなかで)
にもかかわらず入らないということは、これは鬼の×××が自主規制しているに違いありません。合意なき行為はどちらにとっても幸せな結果にはつながらないということを、鬼の×××は知っているのです。
なんてすごいんだ鬼! なんてすごいんだ鬼の×××!
この「好きになったのがたまたま男だった」などという言い訳をしない世界観といい、女性は完全なる悪役か脇役に徹しさせる潔さといい、ある意味「さぶ」の世界に通じるものがあるのではないしょうか。作者の雅さんは、名前やあとがきの雰囲気からすると女性のようですが、その作品は性別を超越していますね。
麗しくきらびやかなキャラクターやストーリーはまぎれもなくホモ(やおい)にもかかわらず、その内に秘められた男、男の世界……夢見がちでありながら、リアルさをも求める腐女子の欲求にみごと応えた逸品です。
久しぶりに読んだ雅さんの本はファンタジー物です。
いえ雅さんの手にかかれば、学園物だろうがリーマン物だろうがたちまちファンタジーになってしまいますが、今回の本は正真正銘、どこからどうみてもファンタジーです。あ、ご本人によれば「ファンタジィ」ですね。
なんたってこの本、鬼がでてくるのです。といってもホモ小説ですからそこはそれ、トラ皮パンツに棍棒ルックなどという格好ではありません。いずれも劣らぬ美形ぞろい。銀髪碧眼の鬼の王様をはじめとして、次々に美麗な鬼が登場してきます。
物語は、鬼たちへ生贄として捧げられた少年(受)が、運命に導かれるように鬼の王(攻)と出会い愛を育んでいくさまを、めくるめくスピードで綴っていくわけですが、嫉妬に狂って受を殺そうとする姉あり、受に横恋慕するあまり発狂してしまう鬼その1ありと、息つく間さえありません。
その間にも途切れなく挿入されるエロシーン。さすがリーフ! さすが雅さん! 伊達にリーフから(この本の時点で)31冊出しているわけではありません。
しかし、なんといっても一番すごいところは、雅さんがこの本で提案している「新しい鬼スタイル@ホモ小説」でしょう。
鬼の一族には女がいないため、人間の女性に子供を産ませることで子孫を残しているのですが、そこでは女性は、「子供を産む道具」としてしか見なされていないのです。交われば一度で孕み、年老いて子供を産めなくなれば食べられてしまいます。「道具」として大事にはされますが、恋愛の対象とはなりえないのです。
そして、そんな彼らが永遠の愛を誓う相手はもちろん男性。鬼が人間の男と交わるのはただ一人、永遠の愛を捧げると決めた相手のみなのです。
なんという斬新な設定でしょう。ホモ小説の批評には時々、「男同士ならではの恋愛」などという褒め言葉があったり、逆に「男女の恋愛でもふつうに成立する」という批判があげられることがありますが、これはまさに角界ロマンスとならぶ、「男同士でしかできない恋愛」です。
しかも、それにはきびしい制約があります。なんと彼らは、相思相愛の相手としか交わることができないのです。この話のなかでも、受に横恋慕する(というか最初に目をつけていた)鬼その1が強引に交わろうとするのですが、なぜか×××が入らない。入れようとすると激痛が走るのです。
それは鬼その1の×××が受の腕サイズだからではなく、双方の想いが通じ合っていないと行為自体が成立しないという鬼の習性(?)によるものなのです。
思うに、それは鬼のからだに秘密があるのでしょう。一般的に受の××は、多少強引なプレイをされても受けいれることができるものです。流血しようが痛かろうが、入らないことはありません。たとえ腕サイズだろうが、入っているのを見たことがあります。(注:本のなかで)
にもかかわらず入らないということは、これは鬼の×××が自主規制しているに違いありません。合意なき行為はどちらにとっても幸せな結果にはつながらないということを、鬼の×××は知っているのです。
なんてすごいんだ鬼! なんてすごいんだ鬼の×××!
この「好きになったのがたまたま男だった」などという言い訳をしない世界観といい、女性は完全なる悪役か脇役に徹しさせる潔さといい、ある意味「さぶ」の世界に通じるものがあるのではないしょうか。作者の雅さんは、名前やあとがきの雰囲気からすると女性のようですが、その作品は性別を超越していますね。
麗しくきらびやかなキャラクターやストーリーはまぎれもなくホモ(やおい)にもかかわらず、その内に秘められた男、男の世界……夢見がちでありながら、リアルさをも求める腐女子の欲求にみごと応えた逸品です。
「エッチするより恥ずかしいことしたい」
2003年9月1日『大切なもの』
『真実の言葉』
『We’re Alone』(ゆらひかる著・ビーボーイノベルズ)
夏はやっぱりオカルト物――とかいいながらシリーズ前作『RYOUMA1〜2』を読んでから早2年……ようやく完結編を読んだのも、やはり夏になりました。(これは続きがでなかったわけではなく、ひとえにわたしが貧乏だったからです)
これはお化けや幽霊にやたら好かれる拓哉くん(受)と、寺の次男坊で特技が除霊の恋人・凌馬くん(攻)の話。この二人、どちらもまだ高校1年生なのですが、この本を読んでわたしは「性別・攻」の大変さというものをつくづく思い知りました。
もともと攻には、生物学上では(たぶん)同じ遺伝子配列を持っているにもかかわらず、「攻は受より男らしくなければならない」とか「攻は受よりも先にイッてはならない」といった暗黙のルールが存在しますが、この本の攻くんの大変さはそんなものではありません。
もちろん受くんは受くんで大変です。香水もつけていないのに近づくとなぜかいい匂いがする天然フェロモンを分泌したり、ただ護られているだけのようで実は攻くんの心を優しく包み込んでいたり、はては幽体離脱した攻くんの魂を愛の力で現世に呼び戻したりと、常人には不可能な技を駆使しなければなりません。
しかし攻くんはというと、歩いているだけで心霊体験してしまう受くんを護るため、山で厳しい修行を積み、命がけで戦います。学校では、天然フェロモンに惹かれて寄ってくる男子生徒から受くんの貞操を守りぬき、家では共働きで留守がちの(受くんの)両親にかわって、家事だってこなしています。
けれど、そんなものはまだ序の口。かれにとって最大の試練――それは受のお母さんとの水面下での戦いです。
母親の勘か、かれらが小学6年生の時点で攻くんが自分の息子に寄せる下心(――と書いて恋と読もう)を見抜いた彼女は、ことあるごとに攻くんを牽制します。二人の部屋へ突然顔をだしたり、あるいは息子にさり気なく探りをいれたり……まったく気づいていない受くんをよそに、心理戦を繰り広げています。ホモ小説でありながら、嫁姑問題を彷彿とさせますね。
そんななか、親の目をかいくぐり、痛がってあまりしたがらないうえに横になると3分で寝てしまう(おまえは○び太か!)受をなんとかなだめすかしてその気にさせ、一話につき一回のノルマをこなさなければなりません。
並の体力・精神力ではできませんね。ラスボスとの決戦前など、(しばらくできないからか)やり溜めしていました。さすが高校生です。
最後は受くんがお化けに好かれる原因が、実は攻くんの過去の行為にあったということが判明して、きれいにオチがついていました。
なんにせよ、かれには今後も義理のお母さんとの戦いに健闘してほしいものです。
『真実の言葉』
『We’re Alone』(ゆらひかる著・ビーボーイノベルズ)
夏はやっぱりオカルト物――とかいいながらシリーズ前作『RYOUMA1〜2』を読んでから早2年……ようやく完結編を読んだのも、やはり夏になりました。(これは続きがでなかったわけではなく、ひとえにわたしが貧乏だったからです)
これはお化けや幽霊にやたら好かれる拓哉くん(受)と、寺の次男坊で特技が除霊の恋人・凌馬くん(攻)の話。この二人、どちらもまだ高校1年生なのですが、この本を読んでわたしは「性別・攻」の大変さというものをつくづく思い知りました。
もともと攻には、生物学上では(たぶん)同じ遺伝子配列を持っているにもかかわらず、「攻は受より男らしくなければならない」とか「攻は受よりも先にイッてはならない」といった暗黙のルールが存在しますが、この本の攻くんの大変さはそんなものではありません。
もちろん受くんは受くんで大変です。香水もつけていないのに近づくとなぜかいい匂いがする天然フェロモンを分泌したり、ただ護られているだけのようで実は攻くんの心を優しく包み込んでいたり、はては幽体離脱した攻くんの魂を愛の力で現世に呼び戻したりと、常人には不可能な技を駆使しなければなりません。
しかし攻くんはというと、歩いているだけで心霊体験してしまう受くんを護るため、山で厳しい修行を積み、命がけで戦います。学校では、天然フェロモンに惹かれて寄ってくる男子生徒から受くんの貞操を守りぬき、家では共働きで留守がちの(受くんの)両親にかわって、家事だってこなしています。
けれど、そんなものはまだ序の口。かれにとって最大の試練――それは受のお母さんとの水面下での戦いです。
母親の勘か、かれらが小学6年生の時点で攻くんが自分の息子に寄せる下心(――と書いて恋と読もう)を見抜いた彼女は、ことあるごとに攻くんを牽制します。二人の部屋へ突然顔をだしたり、あるいは息子にさり気なく探りをいれたり……まったく気づいていない受くんをよそに、心理戦を繰り広げています。ホモ小説でありながら、嫁姑問題を彷彿とさせますね。
そんななか、親の目をかいくぐり、痛がってあまりしたがらないうえに横になると3分で寝てしまう(おまえは○び太か!)受をなんとかなだめすかしてその気にさせ、一話につき一回のノルマをこなさなければなりません。
並の体力・精神力ではできませんね。ラスボスとの決戦前など、(しばらくできないからか)やり溜めしていました。さすが高校生です。
最後は受くんがお化けに好かれる原因が、実は攻くんの過去の行為にあったということが判明して、きれいにオチがついていました。
なんにせよ、かれには今後も義理のお母さんとの戦いに健闘してほしいものです。
「大人になったら試してみるかい?」
2003年8月17日『雨柳堂夢咄 其ノ四』(波津彬子作・眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)
深読みしようによってはアヤシゲな日記タイトルですが、そういう本ではなく。
ひさしぶりのネムキです。
いえ、わたしとしてはもっと頻繁に読みたいというか、百鬼夜行抄とこれはコンプリートしたいところなのですが、なにぶんなにぶん無職の身では、新刊はおろか中古でもめったに買えません。
まあ、たまに本屋で見つけてきてはちびりちびりと読むのも、それはそれでよいのですが。
なんといっても、主人公(というより狂言回しか)の蓮くんが、とってもわたし好みの美少年なのです。美少年を愛でつつ、レトロで幻想的な世界に浸る、そういう楽しみかたのできる本もなかなか貴重です。
というわけでこの本、すでに何冊も読んでいるので改めて書くこともないかと思いきや。
今回わたしが注目したのは146頁、「夢を見る蔵」という話のラストシーン。夢のなかで大立ち回りを演じた蓮くんが、自室ですやすやと眠っている場面です。
寝顔の美しさもさることながら、わたしはかれの使っている枕に目を奪われました。この枕がじつにいい。わたしは枕に関しては、それなりにこだわりがあるのです。
うつ伏せに眠る横顔の下に敷かれた、大きくてやわらかそうな枕……やや薄そうな印象は受けるものの、そのへんのただ弾力があればいいと思っているような枕とは一味も二味もちがいます。
蓮くんのおじいさんは骨董屋さんをしていて、かれ自身もその手伝いをしているのですが、さすが物を見る目があるということなのでしょう。わたしの使っている枕は二十年物で、枕としては骨董の部類に入るかもしれませんが、かれの使っている枕もそのくらいなのかもしれません。
道具屋さんは枕を見る目もあった!
深読みしようによってはアヤシゲな日記タイトルですが、そういう本ではなく。
ひさしぶりのネムキです。
いえ、わたしとしてはもっと頻繁に読みたいというか、百鬼夜行抄とこれはコンプリートしたいところなのですが、なにぶんなにぶん無職の身では、新刊はおろか中古でもめったに買えません。
まあ、たまに本屋で見つけてきてはちびりちびりと読むのも、それはそれでよいのですが。
なんといっても、主人公(というより狂言回しか)の蓮くんが、とってもわたし好みの美少年なのです。美少年を愛でつつ、レトロで幻想的な世界に浸る、そういう楽しみかたのできる本もなかなか貴重です。
というわけでこの本、すでに何冊も読んでいるので改めて書くこともないかと思いきや。
今回わたしが注目したのは146頁、「夢を見る蔵」という話のラストシーン。夢のなかで大立ち回りを演じた蓮くんが、自室ですやすやと眠っている場面です。
寝顔の美しさもさることながら、わたしはかれの使っている枕に目を奪われました。この枕がじつにいい。わたしは枕に関しては、それなりにこだわりがあるのです。
うつ伏せに眠る横顔の下に敷かれた、大きくてやわらかそうな枕……やや薄そうな印象は受けるものの、そのへんのただ弾力があればいいと思っているような枕とは一味も二味もちがいます。
蓮くんのおじいさんは骨董屋さんをしていて、かれ自身もその手伝いをしているのですが、さすが物を見る目があるということなのでしょう。わたしの使っている枕は二十年物で、枕としては骨董の部類に入るかもしれませんが、かれの使っている枕もそのくらいなのかもしれません。
道具屋さんは枕を見る目もあった!
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「恋って、魔法」
2003年7月1日『ロマンスは熱いうちに』(榊花月著・キャラ文庫)
すごいものを読んでしまいました。
最初は「中退? ミステリー? エッチ兼料理係? 前にもあったよーな」とか思っていたのですが、もはやそういう次元の問題ではありませんでした……
受のモノローグにタイトルのアレがでてきた時点でぶっ飛びましたよ、わたしは。
すごい。なんて破壊力のあるセリフでしょう。一瞬気が遠くなりかけました。
いやわたしも、これがべつの作家さんの本だったら、なにもここまで驚かなかったと思うのです。けれどサカキ氏がこんなことを書くとは……
なにか悪いものでも口にされたのではないかと人知れず心配していたのですが、なんてことはない。あとがきにその理由が書いてありました。
曰く、
「徳間での文庫も3冊目ということで、わたしも今までやったことのないいろいろにチャレンジしてみました」
あとがきの文体自体、すでにチャレンジだったんですね。
しかし「いろいろ」というからにはほかにもチャレンジがあるわけで、わたしはサカキ氏の果敢なチャレンジを無駄にはすまいと、自分なりに分析してみました。
結果。
チャレンジ1……「恋って、魔法」宣言
チャレンジ2……改行が多い
チャレンジ3……あとがきがふつう
番外としては、濡れ場で受がほぼ毎回焦らされていた(根元を握る、など)のが気になります。これも一種のチャレンジ、いわば裏チャレンジでしょうか。
これはもしかすると、「センシティブ・ラブ」路線から脱却を図るべくサカキ氏が編みだした、本1冊まるごと使ったギャグだったのかもしれません。うーん、奥が深い……
それはそうと、71頁の伏線が解けていないと思うのです。
すごいものを読んでしまいました。
最初は「中退? ミステリー? エッチ兼料理係? 前にもあったよーな」とか思っていたのですが、もはやそういう次元の問題ではありませんでした……
受のモノローグにタイトルのアレがでてきた時点でぶっ飛びましたよ、わたしは。
すごい。なんて破壊力のあるセリフでしょう。一瞬気が遠くなりかけました。
いやわたしも、これがべつの作家さんの本だったら、なにもここまで驚かなかったと思うのです。けれどサカキ氏がこんなことを書くとは……
なにか悪いものでも口にされたのではないかと人知れず心配していたのですが、なんてことはない。あとがきにその理由が書いてありました。
曰く、
「徳間での文庫も3冊目ということで、わたしも今までやったことのないいろいろにチャレンジしてみました」
あとがきの文体自体、すでにチャレンジだったんですね。
しかし「いろいろ」というからにはほかにもチャレンジがあるわけで、わたしはサカキ氏の果敢なチャレンジを無駄にはすまいと、自分なりに分析してみました。
結果。
チャレンジ1……「恋って、魔法」宣言
チャレンジ2……改行が多い
チャレンジ3……あとがきがふつう
番外としては、濡れ場で受がほぼ毎回焦らされていた(根元を握る、など)のが気になります。これも一種のチャレンジ、いわば裏チャレンジでしょうか。
これはもしかすると、「センシティブ・ラブ」路線から脱却を図るべくサカキ氏が編みだした、本1冊まるごと使ったギャグだったのかもしれません。うーん、奥が深い……
それはそうと、71頁の伏線が解けていないと思うのです。
「ちんぴ?」「ちんこの秘密……」「略して珍秘」
2003年4月25日「ちんつぶSP」(雑誌「別冊My Birtyhday」4月号・大和名瀬特集)
ちんこのつぶやき、略してちんつぶです。
たまたま友人に「こんな雑誌があるよ」と教えられて(その友人も未読)、ついタイトルに惹かれて買ってみたのですが、これはもうとにかくおもしろい。部屋でひとり、膝をたたいて大爆笑しました。
修学旅行帰りのバス事故で、二組の男子高校生のちんこが入れ替わってしまった――というしょーもないネタなのですが、それがきっかけでちんこに魂が宿ってしまうのです。
つまりちんこが人語を話すのです。珍格(ちんかく・ちんこの人格のこと 注:黒雲母命名)があるのです。これが笑わずにいられるでしょうか。
タイトルからある程度のものは予測していましたが、まさかここまでやってくれるとは。
あの大和さんの麗しい絵でちんこなのですよ? 丸だしのビンビンなんですよ?(いやわたしのじゃなくってね……っていうかそもそもついていませんよ!)
ページをめくれどめくれど、めくるめくちんこの世界です。この雑誌一冊で、いったい何回ちんこを見たでしょうか。躍動感あふれる生き生きとしたちんこたちが、これでもかとばかりにでてきます。
そのうえちんこたちにはそれぞれ個性があって(なにしろ顔があるので)、試験前に語呂あわせをつぶやくちんこ、夢精しちゃって落ち込むちんこ、限界までがまんして熱をだすちんこ、入れ替わった相手(片想いだった)とキスしようとがんばるちんこなどさまざま。回がすすむにつれ「ちんこ同盟」(ちんこを元に戻すための会)なんてものが結成されたりして、話はさらに面白くなっていきます。
3本のちんこと3人の本体が(一人の身体は意識不明のまま、ちんこに魂だけが乗り移っているのです)顔つき合わせて相談したり、本人たちが向かい合って座るテーブルの下でちんこ同士も会話してたり、相手に大事にされている自分のちんこに本体が嫉妬したりと、まさにちんこづくし、抱腹絶倒の一冊でした。
新作旧作あわせて計185ページものちんつぶにすっかり堪能です。世のなかにこんなにすばらしいマンガが存在したとは……!
ほかにも「ちんつぶ裏話」や「ちんキャラランキング」「珍古新聞」「珍宝館(実在)レポート」などおもしろい企画が盛りだくさんで、現在懸賞の「メタル珍ケース(コンドーム2個入り)」と「珍ピン(ちんこのピンズ)3個セット」、どちらに応募しようか迷い中です。
コミックスが出たらぜったい買おうと思いました。でもさすがに「ちんこのつぶやき」のままのタイトルでは発行できないらしいです。
ちんこのつぶやき、略してちんつぶです。
たまたま友人に「こんな雑誌があるよ」と教えられて(その友人も未読)、ついタイトルに惹かれて買ってみたのですが、これはもうとにかくおもしろい。部屋でひとり、膝をたたいて大爆笑しました。
修学旅行帰りのバス事故で、二組の男子高校生のちんこが入れ替わってしまった――というしょーもないネタなのですが、それがきっかけでちんこに魂が宿ってしまうのです。
つまりちんこが人語を話すのです。珍格(ちんかく・ちんこの人格のこと 注:黒雲母命名)があるのです。これが笑わずにいられるでしょうか。
タイトルからある程度のものは予測していましたが、まさかここまでやってくれるとは。
あの大和さんの麗しい絵でちんこなのですよ? 丸だしのビンビンなんですよ?(いやわたしのじゃなくってね……っていうかそもそもついていませんよ!)
ページをめくれどめくれど、めくるめくちんこの世界です。この雑誌一冊で、いったい何回ちんこを見たでしょうか。躍動感あふれる生き生きとしたちんこたちが、これでもかとばかりにでてきます。
そのうえちんこたちにはそれぞれ個性があって(なにしろ顔があるので)、試験前に語呂あわせをつぶやくちんこ、夢精しちゃって落ち込むちんこ、限界までがまんして熱をだすちんこ、入れ替わった相手(片想いだった)とキスしようとがんばるちんこなどさまざま。回がすすむにつれ「ちんこ同盟」(ちんこを元に戻すための会)なんてものが結成されたりして、話はさらに面白くなっていきます。
3本のちんこと3人の本体が(一人の身体は意識不明のまま、ちんこに魂だけが乗り移っているのです)顔つき合わせて相談したり、本人たちが向かい合って座るテーブルの下でちんこ同士も会話してたり、相手に大事にされている自分のちんこに本体が嫉妬したりと、まさにちんこづくし、抱腹絶倒の一冊でした。
新作旧作あわせて計185ページものちんつぶにすっかり堪能です。世のなかにこんなにすばらしいマンガが存在したとは……!
ほかにも「ちんつぶ裏話」や「ちんキャラランキング」「珍古新聞」「珍宝館(実在)レポート」などおもしろい企画が盛りだくさんで、現在懸賞の「メタル珍ケース(コンドーム2個入り)」と「珍ピン(ちんこのピンズ)3個セット」、どちらに応募しようか迷い中です。
コミックスが出たらぜったい買おうと思いました。でもさすがに「ちんこのつぶやき」のままのタイトルでは発行できないらしいです。
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「最近、キスもしないね」
2003年1月24日『僕らがもう大人だとしても』(菅野彰著・キャラ文庫)
ええとこれは「毎日晴天!」というシリーズの7冊目です。もうすでに9巻まで出ているようなのですが、わたしにとってはこれが最新刊。
どんな話かというと、両親をなくしてからなかよく助けあって暮らしていた4兄弟のところへ、ある日とつぜん「姉(失踪中)の結婚相手」と称して長男の昔の同級生にして想い人が連れ子といっしょにやってきて、やむを得ず同居生活をはじめるうちに、1巻では長男(攻)が姉婿(受)とプラトニックホモに、2〜3巻にかけて末っ子(受)が連れ子(攻)とからだごとホモに、5巻で次男(受)が近所の花屋の兄さん(攻)と「朝起きたら裸」ホモにと、ひとつ屋根の下で暮らしはじめた男6人が坂道を転がり落ちるようにホモになってゆく、そういう兄弟連鎖ホモの典型的な症例です。
それで今回は1巻で両想いになって以来、ずっとプラトニックホモを貫いてきた長男(攻)と姉婿(受)がいよいよ一線を越えんとする話です。菅野さんはあんまりエロシーンを克明に描写するひとではないので、そういう意味では(わたしは)べつにプラトニックでも構わなかったはずなのですが、それでもなんとなくめでたいような気持ちになるのはなぜでしょう。それともわたしは心のどこかで期待していたのでしょうか、菅野さんに、エロを!
まあそんなことはどうでもいいのですが、このカップル、「姉婿」というのは結局ガセだったので姉(まだ失踪中)との絡みではなんの問題もないのですが、タイミングを逃して2年もプラトニックをしてきてしまうとなかなかことに至るのもむずかしかったようです。この本でも複雑な生い立ちをもった元姉婿(受)が200頁ほどをえんえんと悩んだあげく(いやべつにセックスするかどうかで悩んでいたわけではなく)、結局結論のでないまま最後はなし崩しのようにセックスしていました。
これだけ引っ張っておいてなし崩しですか、という気もしないではないですが、でもまあそういうことなのでしょう。理路整然と理屈をつけてからセックスするほうがおかしい。やはり性交が成功する秘訣はタイミングだったのか。とりあえずやってみれば、なにかが変わったり、あるいはなんにも変わらないということがわかったり、どちらにしてもなんらかの発見があるのかもしれない。
なんとなく身につまされるものがあります。
それはそうと、この男6人のなかでいまもっともわたしが注目しているのは三男です。上の説明を読んですでにお気づきのひともいるかもしれませんが、じつはこのひとつ屋根の下に住む家族6人のうち、かれだけがいまだヘテロ、いまだフリーなのです。
これは由々しき問題です。菅野さんはホモにリアリティを求めるひとたち――すなわち確かな文章力と丁寧な心理描写で、男同士が恋に落ちるという異常事態も比較的ありそうな話に思わせてくれる(でも決してあるわけはない←なぜならそれは「さぶ」になってしまうから)ことを重視するひとたちの期待の星なので、そう軽々しくホモを増殖させるわけにはいかないのかもしれませんが(ヘテロがひとりいるのといないのとではリアリティに大きな違いがあるらしい)、わたしとしてはそこをおしてホモにしてほしいですね。
というかいまさらこの状況でひとりヘテロを貫こうというほうがおかしい。無理があるというものです。特定の彼女もいないようですし、ここはもうホモになるしかないでしょう。
それでわたしはかれのお相手としてはだれがふさわしいかと、まるで見合い話をもってくるおばちゃんのように考えたのですが、とても身近にとてもすばらしい相手がいることに気がつきました。
飼い犬バース(たぶんオス)。
ちょっと老犬であるということを除けばこれ以上にない相手です。
三男×飼い犬。ある日とつぜん三男はじぶんのことをずっと見守ってくれている存在に気づき……もとい、いちゃいちゃする家族を横目にひとり欲求不満の三男は思い余ってある夜……!
ちなみに飼い犬×三男ではありません。その設定も捨てがたくはあるのですが、長男が攻で次男が受、末っ子が受とくれば三男は攻に決まっているのです。
ええとこれは「毎日晴天!」というシリーズの7冊目です。もうすでに9巻まで出ているようなのですが、わたしにとってはこれが最新刊。
どんな話かというと、両親をなくしてからなかよく助けあって暮らしていた4兄弟のところへ、ある日とつぜん「姉(失踪中)の結婚相手」と称して長男の昔の同級生にして想い人が連れ子といっしょにやってきて、やむを得ず同居生活をはじめるうちに、1巻では長男(攻)が姉婿(受)とプラトニックホモに、2〜3巻にかけて末っ子(受)が連れ子(攻)とからだごとホモに、5巻で次男(受)が近所の花屋の兄さん(攻)と「朝起きたら裸」ホモにと、ひとつ屋根の下で暮らしはじめた男6人が坂道を転がり落ちるようにホモになってゆく、そういう兄弟連鎖ホモの典型的な症例です。
それで今回は1巻で両想いになって以来、ずっとプラトニックホモを貫いてきた長男(攻)と姉婿(受)がいよいよ一線を越えんとする話です。菅野さんはあんまりエロシーンを克明に描写するひとではないので、そういう意味では(わたしは)べつにプラトニックでも構わなかったはずなのですが、それでもなんとなくめでたいような気持ちになるのはなぜでしょう。それともわたしは心のどこかで期待していたのでしょうか、菅野さんに、エロを!
まあそんなことはどうでもいいのですが、このカップル、「姉婿」というのは結局ガセだったので姉(まだ失踪中)との絡みではなんの問題もないのですが、タイミングを逃して2年もプラトニックをしてきてしまうとなかなかことに至るのもむずかしかったようです。この本でも複雑な生い立ちをもった元姉婿(受)が200頁ほどをえんえんと悩んだあげく(いやべつにセックスするかどうかで悩んでいたわけではなく)、結局結論のでないまま最後はなし崩しのようにセックスしていました。
これだけ引っ張っておいてなし崩しですか、という気もしないではないですが、でもまあそういうことなのでしょう。理路整然と理屈をつけてからセックスするほうがおかしい。やはり性交が成功する秘訣はタイミングだったのか。とりあえずやってみれば、なにかが変わったり、あるいはなんにも変わらないということがわかったり、どちらにしてもなんらかの発見があるのかもしれない。
なんとなく身につまされるものがあります。
それはそうと、この男6人のなかでいまもっともわたしが注目しているのは三男です。上の説明を読んですでにお気づきのひともいるかもしれませんが、じつはこのひとつ屋根の下に住む家族6人のうち、かれだけがいまだヘテロ、いまだフリーなのです。
これは由々しき問題です。菅野さんはホモにリアリティを求めるひとたち――すなわち確かな文章力と丁寧な心理描写で、男同士が恋に落ちるという異常事態も比較的ありそうな話に思わせてくれる(でも決してあるわけはない←なぜならそれは「さぶ」になってしまうから)ことを重視するひとたちの期待の星なので、そう軽々しくホモを増殖させるわけにはいかないのかもしれませんが(ヘテロがひとりいるのといないのとではリアリティに大きな違いがあるらしい)、わたしとしてはそこをおしてホモにしてほしいですね。
というかいまさらこの状況でひとりヘテロを貫こうというほうがおかしい。無理があるというものです。特定の彼女もいないようですし、ここはもうホモになるしかないでしょう。
それでわたしはかれのお相手としてはだれがふさわしいかと、まるで見合い話をもってくるおばちゃんのように考えたのですが、とても身近にとてもすばらしい相手がいることに気がつきました。
飼い犬バース(たぶんオス)。
ちょっと老犬であるということを除けばこれ以上にない相手です。
三男×飼い犬。ある日とつぜん三男はじぶんのことをずっと見守ってくれている存在に気づき……もとい、いちゃいちゃする家族を横目にひとり欲求不満の三男は思い余ってある夜……!
ちなみに飼い犬×三男ではありません。その設定も捨てがたくはあるのですが、長男が攻で次男が受、末っ子が受とくれば三男は攻に決まっているのです。
「自分を刺しに来た女の気持ちが少しはわかった?」
2003年1月16日『千の花 真夜中を駆け抜ける2』(依田沙江美作・シャレードコミックス)
今日はマンガ本です。
これも1巻がでてから4年近くたっていたので一時はもうでないのかと危惧した本でしたが、昨年連載が再開して先日ついに2巻が発行。めでたく完結いたしました。
なのでコミックスの後半部分はすでに立ち読んでいたのですが、発売後すぐに意気揚々と購入してきました。わたしはホモマンガはそれほどたくさん読んではいませんが、これは別格ですきなマンガなのです。依田さんのマンガはわりとみんなすきですが、なかでもこのシリーズはおもしろい。
なんというか、仕事と恋愛のバランスがとてもいいのです。
攻は画家、受は編集者で、おたがい30をいくつか越えたくらい。仕事もそれなりに軌道にのって、やりたいことをやれたり責任ある仕事をまかされたりする、そういうなかで仕事や恋愛がらみの事件だ浮気だと、騒動や喧嘩がたえないわけですが、仕事と恋愛、どちらにも比重がかたよりすぎていないというか。
むしろその二つはたがいに無関係におそってくるのです。仕事が縦糸なら恋愛は横糸、それが相互にからまって、毎回いろいろなストーリーが展開されていく。といっても「仕事と恋愛の両立」がテーマみたいな話じゃなくて、ほらときどきあるじゃないですか。仕事がうまくいっていないときにひとりの男と出逢って、その男となんだかいい感じになるにつれて仕事のほうもいい感じになってきて、最後は仕事も恋愛も絶好調――というような話。わたしはそういうストーリーがどうにも苦手なのです。おまえら「進研ゼミ」のマンガか!という。これもわたしが就職しそびれてしまったせいでしょうか。あ、ここは笑うところですよ。
それはまあとにかくとしても、キレイでおとなしそうな外見に似合わずがさつで男らしくて、ときにはベッドのなかで攻を懐柔しちゃったりもするしたたかさを備えた受と、身長190センチのガタイの浮気性にもかかわらず家事が趣味でロマンチストなところがある攻の、シリアスになりきれないやりとりは見ているだけでおもしろい。
10代のころにつき合って別れたのが、10年以上たってからもう一度よりを戻した……という設定なのに「過去の確執」なんて暗くて重苦しい雰囲気はみじんもなくて、展開はあくまでもコメディなのです。攻が浮気騒動を起こすたび子供のように大声で怒鳴りあったり、かと思えばテレビや映画をみてふたりして泣いてみたり。たがいにあさっての方向をみているようでいても、結局は似たもの同士なのでしょうか。
登場人物の多さも魅力で、毎回それぞれ微妙にくせのあるわき役がとてもいい味をだしているのです。シリーズ最初のころは説明が十分でなくて一読しただけではつながりがよくわからないほどでしたが、そのいい意味でごちゃついた雰囲気が読んでいてとても楽しい。みんながそれぞれ、勝手なことをしているような。だからあちこちですれ違いやかん違いが起きてしまう。
けれど、たとえば攻の見合い現場に出くわしてしまって、仕事上ではぶしつけな電話がかかってきて、飼い猫は目のまえで死んでしまって、そんなときに偶然、攻がこっそり自分の絵を描いていたと知ったときの感情、それに生かされてきたと感じる瞬間、そういうごくありきたりで無秩序な日常のふとしたところで流れる空気が、とてもいいなあと思うのです。
作中では時が経つにつれてふたりの関係もかわってきて、攻の父親の死をきっかけにめずらしく緊迫感あふれる展開になったかと思うと、このふたり、知人の結婚式にかこつけて誓いのことばまで交わしてしまいました。
じつはわたし、このホモカップルの結婚うんぬんというのも苦手で、正直雑誌で読んだときには少々ひいてしまったのですが、今回コミックスの書き下ろし部分を読んだらふしぎにしっくりきました。
このふたりの話はもう少し読みたかった気もするのですが、なんにせよいいかたちでおわってよかったなあ、と。
今日はマンガ本です。
これも1巻がでてから4年近くたっていたので一時はもうでないのかと危惧した本でしたが、昨年連載が再開して先日ついに2巻が発行。めでたく完結いたしました。
なのでコミックスの後半部分はすでに立ち読んでいたのですが、発売後すぐに意気揚々と購入してきました。わたしはホモマンガはそれほどたくさん読んではいませんが、これは別格ですきなマンガなのです。依田さんのマンガはわりとみんなすきですが、なかでもこのシリーズはおもしろい。
なんというか、仕事と恋愛のバランスがとてもいいのです。
攻は画家、受は編集者で、おたがい30をいくつか越えたくらい。仕事もそれなりに軌道にのって、やりたいことをやれたり責任ある仕事をまかされたりする、そういうなかで仕事や恋愛がらみの事件だ浮気だと、騒動や喧嘩がたえないわけですが、仕事と恋愛、どちらにも比重がかたよりすぎていないというか。
むしろその二つはたがいに無関係におそってくるのです。仕事が縦糸なら恋愛は横糸、それが相互にからまって、毎回いろいろなストーリーが展開されていく。といっても「仕事と恋愛の両立」がテーマみたいな話じゃなくて、ほらときどきあるじゃないですか。仕事がうまくいっていないときにひとりの男と出逢って、その男となんだかいい感じになるにつれて仕事のほうもいい感じになってきて、最後は仕事も恋愛も絶好調――というような話。わたしはそういうストーリーがどうにも苦手なのです。おまえら「進研ゼミ」のマンガか!という。これもわたしが就職しそびれてしまったせいでしょうか。あ、ここは笑うところですよ。
それはまあとにかくとしても、キレイでおとなしそうな外見に似合わずがさつで男らしくて、ときにはベッドのなかで攻を懐柔しちゃったりもするしたたかさを備えた受と、身長190センチのガタイの浮気性にもかかわらず家事が趣味でロマンチストなところがある攻の、シリアスになりきれないやりとりは見ているだけでおもしろい。
10代のころにつき合って別れたのが、10年以上たってからもう一度よりを戻した……という設定なのに「過去の確執」なんて暗くて重苦しい雰囲気はみじんもなくて、展開はあくまでもコメディなのです。攻が浮気騒動を起こすたび子供のように大声で怒鳴りあったり、かと思えばテレビや映画をみてふたりして泣いてみたり。たがいにあさっての方向をみているようでいても、結局は似たもの同士なのでしょうか。
登場人物の多さも魅力で、毎回それぞれ微妙にくせのあるわき役がとてもいい味をだしているのです。シリーズ最初のころは説明が十分でなくて一読しただけではつながりがよくわからないほどでしたが、そのいい意味でごちゃついた雰囲気が読んでいてとても楽しい。みんながそれぞれ、勝手なことをしているような。だからあちこちですれ違いやかん違いが起きてしまう。
けれど、たとえば攻の見合い現場に出くわしてしまって、仕事上ではぶしつけな電話がかかってきて、飼い猫は目のまえで死んでしまって、そんなときに偶然、攻がこっそり自分の絵を描いていたと知ったときの感情、それに生かされてきたと感じる瞬間、そういうごくありきたりで無秩序な日常のふとしたところで流れる空気が、とてもいいなあと思うのです。
作中では時が経つにつれてふたりの関係もかわってきて、攻の父親の死をきっかけにめずらしく緊迫感あふれる展開になったかと思うと、このふたり、知人の結婚式にかこつけて誓いのことばまで交わしてしまいました。
じつはわたし、このホモカップルの結婚うんぬんというのも苦手で、正直雑誌で読んだときには少々ひいてしまったのですが、今回コミックスの書き下ろし部分を読んだらふしぎにしっくりきました。
このふたりの話はもう少し読みたかった気もするのですが、なんにせよいいかたちでおわってよかったなあ、と。
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「奴の清らかな貞操を、地に堕ちたこの俺がいただけるなら」
2003年1月4日『望郷天使 GENE2』
『紅蓮の稲妻 GENE3』
『宿命の血戦 GENE4』
『この世の果て GENE5』
『愛の戦闘 GENE6』
『螺旋運命 GENE7』
『心の扉 GENE8』(五百香ノエル著・キャラ文庫)
これ、結構おもしろい。
なにがおもしろいかというとあれです、作戦勝ちだと思う。
前にもどこかでいったのですが、わたしはもはや10代もなかばの頃のようにファンタジーの摩訶不思議な設定を読んで心ときめかせた時代はすでに遠く過ぎ去って久しいので、ファンタジーは男と男が恋に落ちるという前提だけで十分、この話のようにやたら仰々しい国名地名にいかにもな時代・世界設定(機械の国と貴族の国と野生の国とか)、に加えてそれぞれの文化だの風習だの歴史だの書かれると思わずペリー来航時の日本人というか初めてミニモニを見たときのじーちゃんばーちゃんというかそんな反応をしてしまうのですが、このシリーズも実際そうなりかかったのですが。
ふたなりってのはいいね。
もうすばらしいと思いました。ふたなりラブ。ふたなりブラボー。
前にもうしろにも穴があるんですよ。ついでにふたなりくん(当然受)はフェラチオもすきらしいので、3つのお口で食べ放題です。
すごいですね。豪快ですね。やはりホモとは男と男のぶつかり合い(おもに局部の)なんだから、このくらいの迫力があってしかるべきなんでしょうね。
わたしは日頃というほどいつもではないのですがまあときどき、オンラインで男性向けのエロ小説なんかも嗜んだりするのですが、そういうなかでもふたなり(この場合は女の子についている)はひときわ輝いていますもんねえ。わたしはそれを見るたびに「いいなあただでさえ女の子は常時まえとうしろのふたつ穴が使えるのに」と思っていたのですが、ホモ小説にもこんなのがあったとは!
それでわたしはこのふたなりくんが次々と男を喰らってはそのからだのとりこにしてゆくさまをわくわくしながら見守っていたのですが、そうこうしているうちにふたなりくんのいる国は滅ぼされて御主人さまは死んじゃったり亡命先の国の後宮でふたなりくんを囲った王様はふたなりくんの上で腹上死しちゃったり次にふたなりくんを囲った第一王子は弟である第二王子に殺されちゃって今度はその第二王子の後宮にはいったりといろいろあって、そんななかふたなりくんがやったことといえばただセックスだけなんですけど、セックスとセックスの合間にサブリミナル効果のようにまわりのひとたちが陰謀やら戦争やら企んでいたのでわたしの老人のような脳みそもいつのまにやらあのややこしい設定も覚えてしまったようなのです。
おそるべしGENE。おそるべし五百香せんせい。
単なるホモエロ好きをぐっとつかんで離さないストーリー展開。いや実際、ふたなりくんが大本命の第二王子と結ばれちゃったあとはあんまりそういうシーンがなくて、むしろわたしは登場するたびに喘いでいた第一王子の妾時代がいちばんエロとしては充実していて好きだったんですけれど、ここまでくるともう続きが気になって(出たら)買ってしまうでしょう。中古ですが。ごめんなさい。
なんたってあと1巻で完結するらしいのです。もう1冊長びけばキリよく10冊なのになあ。
『紅蓮の稲妻 GENE3』
『宿命の血戦 GENE4』
『この世の果て GENE5』
『愛の戦闘 GENE6』
『螺旋運命 GENE7』
『心の扉 GENE8』(五百香ノエル著・キャラ文庫)
これ、結構おもしろい。
なにがおもしろいかというとあれです、作戦勝ちだと思う。
前にもどこかでいったのですが、わたしはもはや10代もなかばの頃のようにファンタジーの摩訶不思議な設定を読んで心ときめかせた時代はすでに遠く過ぎ去って久しいので、ファンタジーは男と男が恋に落ちるという前提だけで十分、この話のようにやたら仰々しい国名地名にいかにもな時代・世界設定(機械の国と貴族の国と野生の国とか)、に加えてそれぞれの文化だの風習だの歴史だの書かれると思わずペリー来航時の日本人というか初めてミニモニを見たときのじーちゃんばーちゃんというかそんな反応をしてしまうのですが、このシリーズも実際そうなりかかったのですが。
ふたなりってのはいいね。
もうすばらしいと思いました。ふたなりラブ。ふたなりブラボー。
前にもうしろにも穴があるんですよ。ついでにふたなりくん(当然受)はフェラチオもすきらしいので、3つのお口で食べ放題です。
すごいですね。豪快ですね。やはりホモとは男と男のぶつかり合い(おもに局部の)なんだから、このくらいの迫力があってしかるべきなんでしょうね。
わたしは日頃というほどいつもではないのですがまあときどき、オンラインで男性向けのエロ小説なんかも嗜んだりするのですが、そういうなかでもふたなり(この場合は女の子についている)はひときわ輝いていますもんねえ。わたしはそれを見るたびに「いいなあただでさえ女の子は常時まえとうしろのふたつ穴が使えるのに」と思っていたのですが、ホモ小説にもこんなのがあったとは!
それでわたしはこのふたなりくんが次々と男を喰らってはそのからだのとりこにしてゆくさまをわくわくしながら見守っていたのですが、そうこうしているうちにふたなりくんのいる国は滅ぼされて御主人さまは死んじゃったり亡命先の国の後宮でふたなりくんを囲った王様はふたなりくんの上で腹上死しちゃったり次にふたなりくんを囲った第一王子は弟である第二王子に殺されちゃって今度はその第二王子の後宮にはいったりといろいろあって、そんななかふたなりくんがやったことといえばただセックスだけなんですけど、セックスとセックスの合間にサブリミナル効果のようにまわりのひとたちが陰謀やら戦争やら企んでいたのでわたしの老人のような脳みそもいつのまにやらあのややこしい設定も覚えてしまったようなのです。
おそるべしGENE。おそるべし五百香せんせい。
単なるホモエロ好きをぐっとつかんで離さないストーリー展開。いや実際、ふたなりくんが大本命の第二王子と結ばれちゃったあとはあんまりそういうシーンがなくて、むしろわたしは登場するたびに喘いでいた第一王子の妾時代がいちばんエロとしては充実していて好きだったんですけれど、ここまでくるともう続きが気になって(出たら)買ってしまうでしょう。中古ですが。ごめんなさい。
なんたってあと1巻で完結するらしいのです。もう1冊長びけばキリよく10冊なのになあ。
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「祝自殺未遂22回記念」
2002年12月22日『きまぐれなパンドラ』
『しあわせな憂鬱』(柏枝真郷著・角川書店)
祝シリーズ再開!
『〜パンドラ』が発売されているのを見つけたのは今年の2月で、そのときも自分の目を疑ったものでしたが、先月続編が発売されるとの情報を入手したときは夜中にもかかわらずひとりで快哉をあげてしまいました。そういうシリーズ。
これは以前に雑誌「小説JUNE」で連載されていた「厄介な連中」シリーズ(ルビー文庫から既刊5冊)の6作目・7作目にあたるものなのですが、シリーズ5作目がでてから5年――もうつづきはでないものだと思っていました。
なにしろマニアックな話だからなあ。そうは書いていませんが、おそらく打ち切りになってしまったのでしょう。でもだからこそマニアな……もとい根強いファンがいたんですね、わたしのように。
帰ってきた「厄介な連中」シリーズは値段も3倍近くになって帰ってきました……うう、ホントに厄介な連中です。わたしはふだんほとんどのホモ小説は古本で、しかもノベルズは高くて買えないからもっぱら文庫本を読んでいるというのに……!
角川め、足もと見やがって――と思わずにはいられませんでしたが、それでも買ってしまいました。ハードカバー本なんて買ったの、今年はこの2冊きりですよ。それもひとえにこのシリーズがつづいてほしいからです。きっとそういう思いで買っているひとも多いだろうなあ、と思います。みんながんばろうぜ。
そんなふうにわたしにとってやたら思い入れのあるこのシリーズですが、話のすじがとくべつおもしろいというわけではなく(失礼)、えーなんといったらいいのかな、設定がとてもすきなのです。
主人公の受には自殺癖というか自殺願望があって、しょっちゅう「死にたい……」なんてつぶやきながらリストカットしています。自殺を決行するのにとくべつな理由などありません。「死にたい」と強く思ったときに浴室でかみそりを手首にあてる、ただそれだけです。
そんな受に攻は「愛してる」とも「死ぬな」ともいわないのですが、かわりに家中にコードレス電話の子機を置いて、受が自殺未遂をしたときは命を助ける(電話が鳴っても受が取らないときは、自殺未遂をしたとわかるので)。そうして助けておきながら、受が命をとりとめたあと「祝自殺未遂○○回記念」なんてのをやって、それから傷口がひらくまでセックスをする。攻は鬼畜でサドなのです。それが「受は傷口が完治するまでは次の自殺未遂はしない」からかどうかはわかりませんが。案外たんにそういう趣味なのかもしれません。
えーとそれで自殺未遂。
これは作者の柏枝さんもあとがきや作中でもふれておられましたが、自殺未遂の常習だなんて話、たとえばいま本当に自殺しようと思いつめているひとや、あるいは命にかかわる病気をわずらって必死に生きようとしているようなひとは、なんて不謹慎なと思うかもしれません。(まあそういう状況にあるひとはこんな日記を見ていないだろうし、こんな本も読まないだろうとは思うのですが)
そもそもふつうは、せいぜい2〜3回もやればちゃんと死ねますしね。死ぬのってむずかしいけれど、案外簡単なことだとも思うのですよ。そのへんから適当に刃物もってきて、血管や心臓に切りつけるなり突き刺すなりすればいいだけのことですから(その行為をむずかしいととるか、簡単ととるかはひとそれぞれだと思う)。22回も自殺してまだ生きている、なんてこと自体がありえない、荒唐無稽な話のわけです。
でもこれ、ホモ小説なんですよ。
といってもなにも「ホモ小説なんて女子供むけの軽い読み物なんだから、そういう小難しいことは考えなくてもいいんだ」とかそういうことではありません。
そうではなくて、ホモ小説って一種のファンタジーだと思うのです、わたし。
たとえばなにか悲しかったり落ちこんだりするようなできごとがあって、がっかりしてなにもかも嫌になって「わたしなんて……」とか卑屈な気分になってしまったとき、家族や友人や恋人になにをいわれても一向に気持ちは浮上しなくて、しだいに周囲からあきれられたり閉口されたりするのが伝わってくるのにどん底をぐるぐるしているような状態のとき。
それでも自分を見捨てないでいてくれるひとがいたらうれしいじゃないですか。
この話でいうなら、十数回も自殺未遂をして、会社はクビになり親兄弟とは絶縁状態、人生やりなおすような(再就職するとか)気力もないまま、なしくずしで攻のところに居候しながらしょっちゅう手首切って、助けてもらっても「死なせてくれればよかったのに」なんてうしろ向きなことを考えている受が、それでもなんとか生きている。
広大な霊園近くにぽつんと立っている廃屋のような屋敷で(貧乏なので雨漏りさえ直せないのです)、年中自殺している青年と死体描写の異常にすきなミステリ作家が、周囲に迷惑と困惑をふりまきながらもマイペースに生活している。
それを想像すると、なんだかたのしい。
この話がホモ小説たりえるのはこういうところなんだろうなあ、と思ったり。いやもちろん男と男がセックスしているからホモ小説なんですけど。
どちらかといえばコメディ調の話であるにもかかわらず、作者である柏枝さんはたしかシリーズ1巻のあとがきで「最初にこの話を思いついたときの心理状態はものすごくネガティブだった」というようなことを書いていたのもわかるような気がするのです。
もっともこのシリーズはここでおわるわけではなく、どころかこれから新たな展開をみせ、登場人物たちも変わらざるをえないようなのですが、主人公である受には最後までうしろ向きで無気力でいてほしいなあ、なんてそんなことを思ってみたり。
『しあわせな憂鬱』(柏枝真郷著・角川書店)
祝シリーズ再開!
『〜パンドラ』が発売されているのを見つけたのは今年の2月で、そのときも自分の目を疑ったものでしたが、先月続編が発売されるとの情報を入手したときは夜中にもかかわらずひとりで快哉をあげてしまいました。そういうシリーズ。
これは以前に雑誌「小説JUNE」で連載されていた「厄介な連中」シリーズ(ルビー文庫から既刊5冊)の6作目・7作目にあたるものなのですが、シリーズ5作目がでてから5年――もうつづきはでないものだと思っていました。
なにしろマニアックな話だからなあ。そうは書いていませんが、おそらく打ち切りになってしまったのでしょう。でもだからこそマニアな……もとい根強いファンがいたんですね、わたしのように。
帰ってきた「厄介な連中」シリーズは値段も3倍近くになって帰ってきました……うう、ホントに厄介な連中です。わたしはふだんほとんどのホモ小説は古本で、しかもノベルズは高くて買えないからもっぱら文庫本を読んでいるというのに……!
角川め、足もと見やがって――と思わずにはいられませんでしたが、それでも買ってしまいました。ハードカバー本なんて買ったの、今年はこの2冊きりですよ。それもひとえにこのシリーズがつづいてほしいからです。きっとそういう思いで買っているひとも多いだろうなあ、と思います。みんながんばろうぜ。
そんなふうにわたしにとってやたら思い入れのあるこのシリーズですが、話のすじがとくべつおもしろいというわけではなく(失礼)、えーなんといったらいいのかな、設定がとてもすきなのです。
主人公の受には自殺癖というか自殺願望があって、しょっちゅう「死にたい……」なんてつぶやきながらリストカットしています。自殺を決行するのにとくべつな理由などありません。「死にたい」と強く思ったときに浴室でかみそりを手首にあてる、ただそれだけです。
そんな受に攻は「愛してる」とも「死ぬな」ともいわないのですが、かわりに家中にコードレス電話の子機を置いて、受が自殺未遂をしたときは命を助ける(電話が鳴っても受が取らないときは、自殺未遂をしたとわかるので)。そうして助けておきながら、受が命をとりとめたあと「祝自殺未遂○○回記念」なんてのをやって、それから傷口がひらくまでセックスをする。攻は鬼畜でサドなのです。それが「受は傷口が完治するまでは次の自殺未遂はしない」からかどうかはわかりませんが。案外たんにそういう趣味なのかもしれません。
えーとそれで自殺未遂。
これは作者の柏枝さんもあとがきや作中でもふれておられましたが、自殺未遂の常習だなんて話、たとえばいま本当に自殺しようと思いつめているひとや、あるいは命にかかわる病気をわずらって必死に生きようとしているようなひとは、なんて不謹慎なと思うかもしれません。(まあそういう状況にあるひとはこんな日記を見ていないだろうし、こんな本も読まないだろうとは思うのですが)
そもそもふつうは、せいぜい2〜3回もやればちゃんと死ねますしね。死ぬのってむずかしいけれど、案外簡単なことだとも思うのですよ。そのへんから適当に刃物もってきて、血管や心臓に切りつけるなり突き刺すなりすればいいだけのことですから(その行為をむずかしいととるか、簡単ととるかはひとそれぞれだと思う)。22回も自殺してまだ生きている、なんてこと自体がありえない、荒唐無稽な話のわけです。
でもこれ、ホモ小説なんですよ。
といってもなにも「ホモ小説なんて女子供むけの軽い読み物なんだから、そういう小難しいことは考えなくてもいいんだ」とかそういうことではありません。
そうではなくて、ホモ小説って一種のファンタジーだと思うのです、わたし。
たとえばなにか悲しかったり落ちこんだりするようなできごとがあって、がっかりしてなにもかも嫌になって「わたしなんて……」とか卑屈な気分になってしまったとき、家族や友人や恋人になにをいわれても一向に気持ちは浮上しなくて、しだいに周囲からあきれられたり閉口されたりするのが伝わってくるのにどん底をぐるぐるしているような状態のとき。
それでも自分を見捨てないでいてくれるひとがいたらうれしいじゃないですか。
この話でいうなら、十数回も自殺未遂をして、会社はクビになり親兄弟とは絶縁状態、人生やりなおすような(再就職するとか)気力もないまま、なしくずしで攻のところに居候しながらしょっちゅう手首切って、助けてもらっても「死なせてくれればよかったのに」なんてうしろ向きなことを考えている受が、それでもなんとか生きている。
広大な霊園近くにぽつんと立っている廃屋のような屋敷で(貧乏なので雨漏りさえ直せないのです)、年中自殺している青年と死体描写の異常にすきなミステリ作家が、周囲に迷惑と困惑をふりまきながらもマイペースに生活している。
それを想像すると、なんだかたのしい。
この話がホモ小説たりえるのはこういうところなんだろうなあ、と思ったり。いやもちろん男と男がセックスしているからホモ小説なんですけど。
どちらかといえばコメディ調の話であるにもかかわらず、作者である柏枝さんはたしかシリーズ1巻のあとがきで「最初にこの話を思いついたときの心理状態はものすごくネガティブだった」というようなことを書いていたのもわかるような気がするのです。
もっともこのシリーズはここでおわるわけではなく、どころかこれから新たな展開をみせ、登場人物たちも変わらざるをえないようなのですが、主人公である受には最後までうしろ向きで無気力でいてほしいなあ、なんてそんなことを思ってみたり。
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